「独生女宣言」が天宙的詐欺師となったお母様の宿命的な背景 ➡ 「(※2)正義に立脚して教育」
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文先生の教育によって仕組まれた「お母様の不信」の謎を解く
お母様の不信から派生したのが「独生女宣言」だった
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お母様は原理教育を受けなかった
1960年、40歳の文先生が17歳の何も知らないお母様を妻に迎えてから1992年まで、お母様が洗礼ヨハネの使命を担うまでの期間、お母様に教育したことは ➡ なんと、原理教育ではなかったのです。お母様が札幌で開催された女性連合の大会で「原理を勉強したことがない」とはっきり語られ、信徒たちを驚かせたのです。
(1)下記の御言葉〔A〕から、お母様に対する教育を問う?
文先生がお母様になされた教育とは、一体どのような教育だったのでしょうか?
それが、下記の御言葉〔A〕です。
御言葉〔A〕の重要部分を抜き出すと・・
➡ ①「(※2)正義に立脚して教育」
②「(※3)道理に立脚して正しければ、嫌でも順応しなければならない教育」
③「(※4)公的な立場で糾弾されなければならず、批判されるべきことがあれば、お母様は私を無慈悲に批判しなさいという」
なお、考察の詳細は、下記の御言葉の《重要考察》をお読みください。スッキリ理解できると思います。
(2)「(※2)(※3)(※4)」を身に付けたお母様よって、
➡ 文先生が糾弾される立場に立たれた(文先生を必然的に糾弾)
➡ 「(※5)私がうそをつき、語ったことで行わなかったことがあり、自分が行わずに欺いて利用し尽くす、そのような指導者ならば、糾弾しなさいという」
(3)お母様の不信は必然的であった(不信が必然的な聖和となった)
➡ お母様が受けた教育「(※2)(※3)(※4)」によって、最初に結実した不信が文先生を「聖和」させたことです。そして、第二が「三派の分裂」の結実であり、第三が「独生女宣言」の結実だったのです。
➡ 文先生は、16歳の時の堕落(肉的堕落による死)を聖和をもって蕩減を完了され、聖和によって振出しだった16歳のゼロポイントに戻られたのです。
(4)お母様の不信は文先生の聖和を完結させ、メシヤが再び再臨する道を開いた
➡ 聖和を完結させたのが、原理講論にある「悪霊(サタン)の再臨復活現象」です。
➡ 聖和によって、再臨摂理は延長となり、これにより、「再び再臨する」と御言葉の全てが未来形で語られていたのです。
御言葉〔A〕
真の御父母様の生涯路程10 第八節 二
(※1)私はお母様を教育してきました。涙があふれるほど多くの教育をしてきました。
(※2)正義に立脚して教育してきました。夫のために生きなさいと教育したのではありません。
(※3)道理に立脚して正しければ、嫌でも順応しなければならないのです。涙のあふれる訓示をしました。
その代わり、(※4)公的な立場で糾弾されなければならず、批判されるべきことがあれば、お母様は私を無慈悲に批判しなさいというのです。
(※5)私がうそをつき、語ったことで行わなかったことがあり、自分が行わずに欺いて利用し尽くす、そのような指導者ならば、糾弾しなさいというのです。
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《重要考察》
① 文先生は晩年、最終的に再臨摂理が一代で成就できない立場に立たれました。そのため、「御言葉と文先生の生涯が 誤謬 となってしまった」のです。
「誤謬」とは、成就すると語られた御言葉が、成就ていない現実になったことです。一言で言えば、御言葉が「嘘」になってしまったということです。当然、それを補足している御言葉はありますから、総観としては「誤謬」ではないのです・・・。ただ、再臨摂理が成就することを一念として来た古い信徒たちからすれば、時すでに遅し・・、彼らにすれば、嘘になってしまった御言葉が記憶に残ってしまったのです。
② つまり、文先生の前に召命された洗礼ヨハネの使命を担ったお母様と代表幹部たちが「真の父母宣布」摂理に不信したため、「御言葉と文先生の生涯が 誤謬 となってしまった」のです。そして、摂理が第二次40年サタン分立路程へと移行したのです。
③ そうなると、第一次40年サタン分立路程中(1-952-1992)に文先生がお母様に断行された「アブラハムによるイエスの典型路程」と「文先生に二人の女性」という蕩減摂理は「(※3)道理」的に許されない立場に立つようになったのです。特に、お母様からすれば当然と言えば当然の帰結です。
④ この帰結は、お母様の不信が結実するように、文先生はお母様に原理教育をされなかったことによる結実です。
これは、六千年前のエバが「戒め」を知っていたにもかかわらず堕落したため、今度は、これを蕩減する立場で、お母様が何も知らない立場でなければならなかったということです。経過を観察すれば、何も知らないお母様の不信は必然的であったとい言わざるをないことです。
それからもう一つ、六千年前のエバが堕落してアダムを堕落させたことを、今度は、堕落したエバ(お母様)がアダム(文先生)を再創造する摂理が必用だったのです。→ これも「悪霊の再臨復活現象」に相当するものです。 )
④ よって、文先生はお母様に原理教育をされなかったという目的は、初めから、お母様が文先生を「(※4)公的な立場で糾弾する」立場に立たさたことにあったということです。必然的な不信であったのです。
⑤ そして、この「(※4)公的な糾弾」の結実が文先生の「聖和(自死)」です。つまり、文先生の聖和は、「(※2)(※3)(※4)」の教育から生まれた必然的な結実だったと言わざるを得ないのです。
つまり、「アブラハムによるイエスの典型路程」と「文先生に二人の女性」を敢行された文先生に対するお母様の糾弾です。
⑥ ということは、これによって文先生が晩年に語られた「文先生とお母様の最終一体」が如何なることであったのかが見えてくるのです。「最終一体」とは、お母様が公的立場でお父様を糾弾し、聖和させたことであったということです。つまり、文先生が糾弾するお母様に絶対服従することによって生まれたのが「主管性転倒式」による「聖和(自死)」だったのです。
⑦ ですから、「主管性転倒式」による「聖和(自死)」によって、聖和によって総蕩減が完了して文先生が16歳のゼロポイントに戻られたのです。
これによって、蕩減のない時代を迎えて、再び再臨する時代が到来することになったのです。
以上から「独生女宣言」を再整理すると・・・
不信したお母様に、不信の功績があったとも言えるのです。
(1)この①~⑥の不信するお母様は、文先生の教育方針「(※2)(※3)(※4)」から生まれた結実だった。ですから、絶対服従しないお母様の「独生女宣言」は必然的であったということです。しかし、この宣言は、真の根がありませんから、時が来れば消えていくものです。
(2)これを言いかえれば、文先生とお母様が「堕落したのだから、堕落から始めなければならない」という立場に立って、そこから最終的にお母様の不信が結実し、晩年に至って、文先生がお母様に絶対服従して「最終一体」となったのが「聖和(自死)」だったということです。
(3)そして、イエス様の十字架が再臨を可能にされたように、聖和によって、摂理が延長となり、メシヤが再び再臨するようになったのです。