新「平和の主人 血統の主人」

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

⑤-1 「御言葉を解く鍵」 §1「私」とは・・原理講論 緒論(三)の『私』 ➡ この『私』こそが 文先生 !

    


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下記の  ➡ 「原理講論」にある『私』とは・・・一体誰か??
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★ この『私』に完全に 一致するお方は 文先生だけ
  (三)の一部を引用しておきます。(下に続きます)

「原理講論」後編 「緒論」 (三)


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(※1)復帰摂理歴史が長い期間を通じて、縦的に要求してきた蕩減条件を、「私」自身を中心として、横的に立てなければならない。そうすることによって、初めて「私」は復帰摂理歴史が望む結実体として立つことができるのである。

したがって、我々は今までの歴史路程において、復帰摂理の目的のために立てられた預言者や義人たちが達成することのできなかった時代的使命を、今この「私」を中心として、一代において横的に蕩減復帰しなければならないのである。(※2)そうでなければ、復帰摂理の目的を完成した個体として立つことはできない。

・・・・・


★ (※1)の『私』とは 一体誰なのか??

  上記の(※1)(※2)の「私」に完全に一致する人は、文先生が存命中だった時代、この地球上に何人いたと思いますか。


私は、これに一致するお方は、生前の文先生だけであったと考えています。あなたはどう思われますか。我こそがこの『私』に一致する者だと、言えますか。もし言えたなら、あなたは自分の立場も、自分の罪も分かっていない、間違いなく思い込みが強すぎますね。


もし、そのような人間が文先生の他に一人でもおられたなら、文先生は聖和する必要がなく、待ち焦がれていた基元節を予定どおり迎えていたはずです。


私は、文先生の聖和こそが上記の(※1)(※2)の「私」に完全に一致する証明だったと確信しています。


★ もう一度、整理します。

文先生を表示していると思われる『言語』を検証するにおいて、その『言語』が文先生であると確定する為には、次の厳しい「六つの条件」をクリアしなければなりません。



★ その『言語』が文先生であるとする「六つの条件」とは、


   下記の御言葉〔A〕➡『言語の定義が「単一性」』という基準


  ➁ 下記の御言葉〔B〕➡「二重的な言葉の相対となる『対応語』を見つけ出す」


   下記の御言葉〔C〕➡「体系的な理論、科学的なデータによる実証的結果によってこれを主張する」という条件をクリアすること。


   下記の御言葉〔D〕➡『「原理講論の「後編」 緒論 (三)』で扱っている『私』という条件を完全に満たさなければならない。』


   その『言語』が文先生であると仮定することにより、「御言葉全体の文脈的整合性が取れること。」


  ⑥ その『言語』が文先生であると仮定することにより、文先生が再臨摂理の中心存在ですから、「御言葉全体が文先生の実生活の摂理と一致すること。」



御言葉〔A〕

  神様の摂理から見た 南北統一 第二章 第五節 六. 2 


科学世界は公式発達の世界ですが、・・・定義という言葉は総合性ですか、単一性ですか。(単一性です)。 

(※1)(言語の定義は)単一性だというのです。




御言葉〔B〕

  「双合十勝日」宣布の御言葉 

    2004/5/5 ファミリー 2004/10 P23 


いつでも、(※2)二重的な言葉の相対を見つけ出さなければなりません。(※3)対応語は何かということです。

対応語を見つけ出すのは、私がチャンピオンです。原理世界の正しいことを教えるために、私がすべてつくったのです。




御言葉〔C〕

  天聖経 真の神様 第四章 五 2. 


  愛の目的を達成できない神様を、私は愛で解放することを主張するのです。愛の目的を成就できない恨をもった神様が、今日レバレンド・ムーンと出会って解放されたということは理論によるものです。妄想ではありません。体系的な理論、科学的なデータによる実証的結果によってこれを主張するのです。


  赤・天聖経 第五篇 第一章 第四節 

  実証的で科学的、論理的な結果が出なければなりません。「統一原理」は、「そうだろう」で はなく、「そうだ」です。





御言葉〔D〕

原理講論 後編 緒論 


(三)復帰摂理歴史と「私」


 「私」という個性体はどこまでも復帰摂理歴史の所産である。したがって、「私」はこの歴史が要求する目的を成就しなければならない「私」なのである。それゆえに「私」は歴史の目的の中に立たなければならないし、また、そのようになるためには、復帰摂理歴史が長い期間を通じて、縦的に要求してきた蕩減条件を、「私」自身を中心として、横的に立てなければならない。そうすることによって、初めて「私」は復帰摂理歴史が望む結実体として立つことができるのである。


 したがって、我々は今までの歴史路程において、復帰摂理の目的のために立てられた預言者や義人たちが達成することのできなかった時代的使命を、今この「私」を中心として、一代において横的に蕩減復帰しなければならないのである。そうでなければ、復帰摂理の目的を完成した個体として立つことはできない。


 我々がこのような歴史的勝利者となるためには、預言者、義人たちに対してこられた神の心情と、彼らを召命された神の根本的な目的、そして彼らに負わされた摂理的使命が、果たしてどのようなものであったかということを詳細に知らなければならないのである。

 しかし、堕落人間においては、自分一人でこのような立場に立ち得る人間は一人もいない。それゆえに、我々は、復帰摂理の完成者として来られる再臨主を通して、それらのことに関するすべてを知り、また彼を信じ、彼に侍り奉り、彼と一つになることによって、彼と共に、復帰摂理歴史の縦的な蕩減条件を横的に立て得た立場に立たなければならないのである。


 このように、復帰摂理の目的を達成するために地上に来た先人たちが歩んだ道を、今日の我々は再び反復して歩まなければならないのである。そればかりでなく、我々は彼らがだれも歩み得ず、取り残した道までも、全部歩まなければならないのである。それゆえに、堕落人間は、復帰摂理の内容を知らなければ、決して命の道を歩むことはできない。我々が復帰原理を詳細に知らなければならない理由は、実はここにあるのである。


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