新「平和の主人 血統の主人」

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

御聖婚前・・・決定的な御言葉(1960年) 「三代による横的蕩減復帰」

御聖婚前・・・決定的な御言葉(1960年)  「三代による横的蕩減復帰」



1960年、ご聖婚が間近に迫っている時、文先生、二代王、三代王という決定的な御言葉が語られていました。この時代の御言葉は今の家庭連合では受け入れ難いものになっています。この時代の御言葉全体がそうなのです。今の時代だから見えてくるとも言えます。文先生と統一教会に対する、全摂理の未来が確定的になっていることが分かる、非常に意味深な御言葉になっています。

 

再臨期における洗礼ヨハネ的使命の生活と我々の覚悟 一九六〇年一月六日(水)前本部教会


 8. 終わりの日の聖徒の責任

(抜粋)

「それで縦的に三数が、横的に起こらなければなりません。学んだでしょう? 縦的歴史が横的に起こるのです。縦的な数が横的に起こるので、三代の歴史が必要です。ですから先生の時代に、先生を証しする三代の女性と、三代の男性が必ずなければならないのです。

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上記の御言葉は下記の原理講論の御言葉に該当するものです。


つまり

縦的蕩減を横的に復帰するとは、アブラハムの失敗を失敗しなかったこととするためにあったのが、イサク、ヤコブと延長して横的に蕩減復帰することです。

アダム、ノア、アブラハムの縦的な三代の失敗をイサク、ヤコブの横的な三代で蕩減復帰したことです。これが、下記の(※1)に「聖進の母親が反対したがゆえに、この家庭の型を中心として、歴史的な過程を経るようになった」とあるのは(※2)からも分かるように、アダム、イエス、文先生の縦的な三代の失敗を、文先生、亨進様、三代王という横的に蕩減復帰することを、すでに、1960年に言っています。


これを再臨時代にあててみれば・・・

再臨主はアダム、イエス様、そして文先生という三次目になる為、文先生は1945年、一次の摂理であったキリスト教が失敗した為、これを失敗しなかったものとして、三代に延長して横的に蕩減復帰することを言っているのです。

下記の御言葉〔A〕の(※2)には、すでに、このことが語られていたのですから驚きです。ここに、聖進様の母が失敗したことにより、「三代にわたって延長されることになりました」と決定的言葉で語られていたのです。


また、これをお母さまの立場からみると・・・・

一次が第一夫人であり、二次が喜進様の母であり、韓母は三次目の母になります。そして、文先生は三次目のアダムになっていますから、文先生とお母様の出発の時が違っていたとしても、どちらも三次目となっています。つまり、上記の御言葉に「ですから先生の時代に、先生を証しする三代の女性と、三代の男性が必ずなければならないのです」とあるように、どちらも、一次の失敗が三代に延長されるという横的蕩減復帰時代圏に入っていると言えるのです。


お母様に関して追加・・・

そして、韓お母様に対する摂理は、1960年の聖婚時の堕落問題、そして、1992年の堕落問題、三次目が2013年の基元節の過ちです。(この堕落問題とはお父様に対する不信であり不一致です。当然、男女問題も想定内です。)


ところが・・・

お母様の不信はお父様によって生み出された必然的なものと言えるのです。どうしてか?この答えこそが、お父様の生涯を意味することであったのです。(ここは次回にします)


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原理講論 後編 第一章 第三節 (一)(2)① 

 アダムの一代で、三段階の成長期間を完成しようとしたのと同様に、アダムの立場であるアブラハムを中心として蘇生のアダム、長成のノア、完成のアブラハムというように、み旨から見て三代にわたって蕩減復帰しようとした縦的な摂理を、一時に、(アブラハム、イサク、ヤコブの三代からなる)横的に完成するためであった。




御言葉〔A〕

真の御父母様の生涯路程3 第四節 二  

 (※1)聖進の母親が反対したがゆえに、この家庭の型を中心として、歴史的な過程を経るようになったのです。聖進の母親がエバの立場であり、喜進の母親はマリヤの立場です。マリヤがイエス様を連れてエジプトに行ったように、喜進の母親も喜進を連れて日本に行かなければなりませんでした。

 喜進は日本の大村収容所で三年以上育ちました。怨讐の鉄格子の中で育ちました。喜進は世の中のいかなる息子よりも貴い息子として生まれたのですが、愛することができなかったのです。天道を立てるまでは、愛を中心として父子の因縁を結ぶことができなかったのです。

 喜進の母親は、海を渡って日本で冒険をしなければならないのです。そこで適応し、再び帰ってくる時には民族が迎えなければならなかったのです。しかし、それ自体が失敗しました。マリヤが失敗したのと同じ結果になったのです。そのために、喜進もあのようになりました。イエス様と全く同じ因縁なのです。喜進は旅先で生まれ、旅先で死にました(一九六九・八・一、夏季伝道に向かう途中、忠清南道梅浦駅で殉教)。イエス様も旅先で生まれました。ベツレヘムの馬小屋で生まれたのです。そして、よその土地(サタン主管圏)で十字架にかかったのです。

 サタンが讒訴できない歴史的な伝統と、時代的な内容を備えた家庭になることなしには、アベル家庭になることはできないというのです。だから、それはどれほど十字架ですか。また子供に対する十字架を負わなければならないのです。このような観点から見る時、代表的な十字架を先生が背負っていくのです。

皆さんは夫と息子、娘だけですが、先生は複雑なのです。家庭的に見たとしても、(※2)聖進のお母さんがみ旨を立てることができなかったために、三代にわたって延長されることになりました。

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