文先生の『利他的な堕落』( ➡ 顕進様、国進様、亨進様には理解できるはずです)
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顕進様、国進様、亨進様には理解できるはずです ➡ 文先生の『利他的な堕落』
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文先生が恥辱を受け続けた『利他的な堕落』を顕進様、国進様、亨進様が理解できなければ、一体、誰が理解できるというのでしょうか。これを理解して兄弟たちに語ることができる者は優先的に天の導きを受けるようになる。しかし、この理解を妨害する者は、誰でも自らの道をも危うくする。私はそう思います。
統一原理は文先生とサタンの関係を記していない
統一原理の「堕落論」はサタンの罪状が淫行にあったことを明らかにしている。しかし、このサタンに対して文先生がどのように向き合ったのかについては統一原理は一言も記していない。
あくまでも統一原理は、キリスト教の失敗を蕩減復帰する延長上で創設された統一教会の経典として現われたものです。その為、文先生とサタンの関係については全く記されていない。
40年サタン分立路程の勝利基準で語られた御言葉・・・「天聖経」
しかし、私たちが文先生とサタンの関係を知ろうとするなら、イエス様の足跡が聖書に残されたように、40年サタン分立路程中、或いは、その路程に勝利されて語られた御言葉の中に残されたはずです。
幸いに、御言葉の中に時代時代に文先生がサタンと関わった数多くの痕跡が残されている。そして、これらの御言葉を文先生が要約的に直接編纂したのが「新しい天地の標準として発表した『天聖経』」になる。
つまり、この「天聖経」こそ、文先生が生涯かけてサタンと向き合った関係性が理解できる代表的な経典になっているということです。もちろん、1950年代、1960年代、1970年代、1980年代の時代時代の御言葉は、サタンとの関わりの始まり、その経過、その結果を詳細に知ることができる貴重な御言葉になっていることは言うまでもない。
本日の結論として・・・・
下記の天聖経(※1)に「堕落論がなければならないのです。堕落論なしには、人間の問題は是正されないのです」と語られている。ここの「堕落論」というのは、よくよく読めば、統一原理の堕落論を言っているのではない。あくまでも、「新しい天地の標準として発表した『天聖経』」の新しい「堕落論」のことを言っていることが分かる。
重要・・・・(※1)に対して、もう一つの御言葉があります。この御言葉でははっきりと「堕落原理」が必要であると言っています。
(※1)の「堕落論」とは新しい堕落論となる「堕落原理」のことであって、統一原理の堕落論のことではない・・・その証左が次です。
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この新しい「堕落論」の条件が(※2)と(※3)です
(御言葉全体の文脈の繋がりをよくよく読み切ってください)
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(※2)『代案(「堕落論」)を中心として、神様の創造理想の代案を中心として、私達の神主義に帰ろう、真の愛主義に帰ろうというのです。』
(※3)『利他的なものです。愛の相対を創造(お母様を再創造)しなければならないのです。そのような内容でなければ、収拾する道はありません。』
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(※2)と(※3)を一言で要約すると・・・・
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「(お母様を再創造する為の)利他的な新しい『堕落論』が出てこなければならない」ということです。
つまり、文先生の堕落は怨讐であったはずのサタンを生涯かけて愛した。サタンの為にお母様をも差し出し、子女様たちを差し出し、第三イスラエルも差し出し、自らは何度でも命を捧げる基準の堕落であったということです。
つまり、文先生はサタンを主人としてサタンに侍り、サタンを自然屈服させる為の利他的な堕落が文先生の堕落であったということです(クリック)。それが僕の僕の道であり、非法の道でした(クリック)。この為、文先生は生涯に渡って恥辱を受け続けたのです。そして、この堕落を文先生は「天聖経」で世界に向かって明らかにしたのです。このような利他的な堕落という概念はこれまでの家庭連合には全くありませんでした。
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道義主義者、理想主義者、空想的宗教者、家庭連合では理解困難
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このような「利他的な新しい『堕落論』」の種となることを語られていた文先生を一方的に神格化し続けた家庭連合や、或いは、統一教会からリタイヤした良心的な道義者たちには理解困難だったのです。
天聖経
⑬真の神様の祖国光復 第一章 五
今後この世界の問題を解決し、人類の道徳問題を全て解消する為には、(※1)堕落論がなければならないのです。堕落論なしには、人間の問題は是正されないのです。
これはサタンが天に背反し、歴史を率いてきた最後の絶望的終末現象なのです。これは人類(人類の代表が第三イスラエル)を破綻、滅亡させる為のサタンの戦略です。これを解消しなければ歴史が解かれる事はありません。歴史が解かれなければ歴史を清算する事は出来ないのです。
それに対する(※2)代案(新しい堕落論)を中心として、神様の創造理想の代案を中心として、私達の神主義に帰ろう、真の愛主義に帰ろうというのです。
それ(新しい堕落論)は自分自身の為ではなく、(※3)利他的なものです。愛の相対を創造(お母様を再創造)しなければならないのです。そのような内容でなければ、収拾する道はありません。