【御言葉】 文先生が ➡ 原罪を〝導入〟した!!
2023/02/27の記事
➡ 《 【1959年の御言葉】 何故、文先生が堕落したのか? ➡ 「自分たちによって万事が成ることを知り・・・・」 》
この御言葉は文先生がご聖婚前に語られたものです。皆さんはどのように読まれましたでしょうか。
この御言葉は、ご聖婚前の文先生が「出発の為の摂理」としてあった「アブラハムによるイエスの典型路程」によって堕落したことを語られたものです。堕落したお母様と家庭を持たれたことが文先生の堕落になったのだと思われます。この事実を知って御言葉を読めば、これに同期する御言葉は数え切れないほど存在しています。
次に、その一つを取り上げます。
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ほんの一例・・
原理と微妙にズレている御言葉
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下の御言葉は文先生の『原罪』に関する御言葉です。
これまで私たちは、この御言葉の『原罪』を六千年前のアダムとエバのものと考えてきたと思います。しかし、それでは統一原理の知る者からすれば、「愛の因縁を〝導入〟して生まれたのが原罪である」という表現は御言葉の正確性に「誤謬」があることが分かります。
以下は下記の考察をお読みください。
祝福家庭と理想天国(1)
祝福と理想家庭 第三章 第四節 4.
堕落したアダムとエバの後孫である人間は、誰かれを問わず、メシヤを迎えることができなければ、原罪を脱ぐことはできないのです。(209)
このように(※1)〔文先生とお母様(或いは、第一夫人)が〕神様の許さなかった愛の因縁を〝導入〟することによって、私たち人間には何が生まれたのかと言えば、(※2)原罪というものが生まれました。
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考 察
(※1)の『神様の許さなかった愛の因縁を〝導入〟する』について・・・
この「導入」という言葉は、目的を果たす為に必要性があって取り入れる時に用いる言葉です。従って、六千年前のアダムとエバの堕落は蹂躙されたことによる堕落ですから、この「導入」という言葉を彼らの堕落の言語として用いるのは「誤謬」です。原理の厳格性を重要視していることからしても、この「導入」という言葉はあり得ない言葉です。
しかし、前回の記事の《【1959年の御言葉】》から分かるように、文先生はご自身の総蕩減の目的を果たす為に「神様の許さなかった愛の因縁を〝導入〟し、その為、私たち人間に原罪が生まれた」と言っているのです。
あくまでも、この「導入」とは、文先生とお母様(或いは、第一夫人)が行かざるを得なかった事実蕩減からきている言葉です。
事実蕩減とは文先生のみが勝利し得る蕩減法です。
これが統一原理に記されていた「アブラハムによるイエスの典型路程」であり、ヤコブ路程を歩まなければならなかった為にあった「妾摂理」です。これによって堕落せざるを得ない立場に立たれた文先生とお母様(或いは、第一夫人)が、「(堕落の)愛の因縁を〝導入〟した」ことによって、新たな原罪が生まれたことを言っているのです。神様に帰る為に生まれた原罪だったということです。この原罪は直接主管圏に入る直前の位置になります。
このことを知り、このことを解かずしては人類も神様も解放されないことから、これを教えている御言葉を前回取り上げました。それが下記です。詳しくはこちらをクリックしてお読みください。
天聖経
⑬真の神様の祖国光復 第一章 五
今後この世界の問題を解決し、人類の道徳問題を全て解消する為には、(※1)堕落論がなければならないのです。堕落論なしには、人間の問題は是正されないのです。
これはサタンが天に背反し、歴史を率いてきた最後の絶望的終末現象なのです。これは人類(人類の代表が第三イスラエル)を破綻、滅亡させる為のサタンの戦略です。これを解消しなければ歴史が解かれる事はありません。歴史が解かれなければ歴史を清算する事は出来ないのです。
それに対する(※2)代案(新しい堕落論)を中心として、神様の創造理想の代案を中心として、私達の神主義に帰ろう、真の愛主義に帰ろうというのです。
それ(新しい堕落論)は自分自身の為ではなく、(※3)利他的なものです。愛の相対を創造(お母様を再創造)しなければならないのです。そのような内容でなければ、収拾する道はありません。