【⑥-2】第一夫人、韓お母様、女性の責任の一切を背負われた再臨主の悲運の道
本日は、前日の【 ⑥ -1 】の続き、【 ⑥-2 】です。
《 『蕩減復帰の峠を越えましょう』 》
(女性修練会) 1993.12.20 韓国・済州研修院
この御言葉を読むにあたって
(黒文字・紫文字は御言葉です。御言葉は省略していません)
(赤文字)は注釈として私が入れた言葉です。
(茶文字)も注釈です。
《 》内は、お父様が【 】で語ろうとされたことに対して、予め語られた原理的な要約になり、この【 】内は、統一教会の摂理的実態が語られています。
つまり、お父様は《 》を語ることが目的ではなく、【 】を語ることが目的であったことが分かります。
しかし、抽象度が強いために【 】の真意を理解した者は皆無だったと思います。
この個所は、過去の《 《④》 》の内容と重なることを語られています。
【 ⑥ -2 】 統一教会の摂理的実態
【 洗礼ヨハネの失敗
それ(=ユダヤ教がイエス様を殺したこと)を蕩減して、第二次大戦で連合国が勝利することによって、アメリカが中心となって、(先に打った側の)日独伊が完全に負けたのだから、(カインアベルが)一体になっているのです。
(※1)〘 それでキリスト教文化圏は霊的救済を目的としてきたので、肉的救済の基盤を引きつけないというと、再臨の主が来て霊的救済ばかりではなく、肉的救済もともに成すのだから、霊肉共にカイン・アベル一体を成すために、第二次大戦後の連合国家勝利基準のカイン・アベルが一体となった所に、(※2)お母様を中心として新郎が、再臨の主が一つになったとするならば、それで世界は七年の間に統一されて、地上天国、天上天国が、アダム家庭でなすべき基準をイエス様が国家的基準で失敗したのだから、今度は世界基準によって、(お母様が再臨の主と一つになるとするなら)すべてを勝利するのです。 〙 】
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(※1)
〘 〙内の御言葉は、お父様がお母様に責任を問うことを避けようとされているために、語り方が理解しづらい言い回しになっています。これは翻訳の仕方が問題だと言われる方がおらますが、そうではなく、人間の責任分担には不干渉の原理から、お父様がお母様に責任を問うことを避けるがために理解しずらくなっていると考えた方が真の愛の基準に沿っています。
次の(※2)も真の愛の基準に沿って語られたものです。
ここには、「お母様を中心として新郎が、再臨の主が一つになったとするならば・・・」とありますが、本来原理的に表現するなら「お父様を中心として新婦が、お母様が一つになったとするならば・・・」となるはずです。しかし、御言葉では「再臨の主が一つになったとするならば」と語られて、再臨主が問題であるかのような表現方法を取っています。
崔先吉第一夫人
韓お母様
日本女性たち
何故、反対の表現になっているのかと言いますと、一つになれなかった第一夫人、韓お母様、エバ達の一切の責任はお父様が負われることを意味しているからにほかなりません。これと同じ様な方法で「平和の主人 血統の主人」も語られています。
参考までに・・・、
《 『 摂理的蕩減時代と祖国光復 』 》の御言葉は、喉が詰まる御言葉です。
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(※2)
ここで語られている言葉が、この『蕩減復帰の峠を越えましょう』の中心テーマになっています。これまでの文脈から見て、ここでの「お母様」とは、お父様が韓お母様の尊称として常々呼んでいる「お母様」であるとみることが出来ます。
この御言葉では第一夫人になりますが、この失敗を蕩減する立場にあるのが韓お母様ですから、このお二人のことを重ねて語られているとみて良いと思います。
この(※2)は、《【 ④ -2 】》 の記事と重なります。
《【 ④ -2 】》では、第一夫人の母と同じ様に、韓お母様の母であられる洪順愛女史もご自身の責任と使命を知らなかった為に、問題になったと明確に語られています。
その内容を次に抜き出しましたので、ご確認ください。
【 第一代(=1945年のキリスト教時代の)のアダム(=お父様)の奥さん(=第一夫人)を殺した(=お父様と離婚させたのは)のは(その時のキリスト教の)女(=第一夫人の母親)だから、第一代のアダムの代わり(=代理蕩減)のお母さん(=韓お母様の母)が、自分の娘(=韓お母様)を(ラケルの使命を持った女性と)一つにして、方向転換(=本妻と妾の入れ替えを)してやらなければならないのです。
(韓お母様の母が)それを知らなかったのです。これが問題になったのです。】