新「平和の主人 血統の主人」

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

⑩ 「六マリア」はお母様と祝福家庭の共同責任(嫉妬心に打ち勝つ共同責任)という御言葉

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前回の記事を要約すれば次のようになります。

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 私たちとお母様の責任分担は「六マリア摂理」として共同して果たさなければならない。日本エバ国の責任はお母様と連動して聖進様を一族として迎え入れることでしたが、内的にその使命を果たせませんでした。従って、私たちはエバ国の失敗を悔い改めることが先決で会って、一方的にお母様を批判することは避けなければならない。


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とは言え、

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 以前、ブログ「777」で記事にしましたが、現在のお母様の誤った発言は予測できていたことでしたから、現実となった時には、ホトホト嫌気がさしていました。

 しかし、今はその思いは通り過ぎました。お母様と共に移っている写真の中のお父様を見つめながら、お母様が成すべき責任(嫉妬心に打ち勝つ責任)は私自身も成さなければならなかったことだったと思えるようになり、お母様がとても可愛そうにさえ思えるようになりました。そして、今の私が何を成すべきなのかを自問自答する日々を過ごしながら、あまりにも未熟さを露呈しますが、「平和の主人 血統の主人」をとおしてお父様のご心情を訪ねるブログを書いています。


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お母様と祝福家庭は対等であるという御言葉を紹介します。

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 私たちは教育を受けることによって、お母様の権限は私達よりも遥かに高いものと思い違いをしてきたのではないでしょうか。

 そして、その考え方は私たちの責任を曖昧にさせ、更に、私たちが自分の中に起こった愛の戦争に敗北(堕落性に敗北)して、お父様の相対圏には立ち得なくなる危険性があったのではないかと思います。お父様を慕う者ならばこの思い違いを訂正する必要があると思います。



 次の御言葉は私たちの権限(責任)がお母様と対等であるという御言葉です。

● 真の御父母様の生涯路程 10 第五節 五


 メシヤの思想とは何でしょうか。アダム思想なのですが、再創造されたアダムが出てこなければなりません。アダムさえ出てくれば、エバは造られるようになっているのです。エバは、アダムをまねて造ったのです。ですから、アダムが問題です。


 今、女権運動をしているアメリカは、第一次大戦以後の七十年の歴史圏内に入ってきているのです。(一九一七年から)一九八七年までが七十年ではありませんか。この七十年間に人間に特権を与えられ、先生がお母様を探し立て、今日、統一教会の祝福家庭の皆さんを立てて(※)対等な権限を付与することのできる愛の基盤が築かれる時代になったのです。



(※)この御言葉に蕩減摂理の「六マリア」を当てがった場合、私は以下のように解釈します。


 上記の「権限」という言葉は「責任」と表裏一体ですから、その観点でお読み頂ければと思います。


 女性としての権限がお母様と祝福家庭は対等であるとするならば、お母様にだけ「愛の八段階」の責任(嫉妬心に打ち勝つ責任)を求めるのではなく、祝福家庭はそれに見合った応分な責任(嫉妬心に打ち勝つ責任)を果たさなければならないことになります。しかし、どちらもそれが成せずに、日本エバ国はお母様と一蓮托生となってサタンの懐に転げ落ちてしまいました。


 お母様が通過された道は、嫉妬心に打ち勝たなければならない愛の戦争という、誰もが受け入れられないような血生臭い蕩減路程でした。

 本来なら、祝福家庭の女性も男性も通過する環境は違っても、お母様と共に、一蓮托生となって、お父様を中心として、共に真の愛で消化しなければならなかったのではないでしょうか。

 しかし、血生臭い蕩減路程を見た信徒たちは堕落性で相対し、共に崖から転げ落ちたか、或いは、お父様からもお母様からもペテロのように逃げだしてしまったのだと思います。その結果、私たちも成すべきだった責任(嫉妬心に打ち勝つ責任)を放棄してしまったのではないかと思います。


 そして、この様な状況を「平和の主人 血統の主人」からみた場合、この責任は今後の私たちの責任分担に大きく関わってくるだろうと思われます。即ち、責任放棄故に生まれた落ちたのが現在の「分裂(亨進様、顕進様、四研、駒場派、他?)」ですから、これを解消し統一するための責任として、嫉妬心、批判する心、讒訴する心を乗り越えていかなければならないと思います。


 そうしてこそ、聖霊が降臨してお父様と共に生活するようになること、すでに、その様な信徒たちが現れる時期を迎えています。


 この様な、嫉妬心、批判する心、讒訴する心からは統一する世界は決して生まれとこないはずです。私たちは壊れたレコード盤のように針が同じところをぐるぐると回り続けることはできません。長いトンネルを抜けて、統一の新たなチャレンジを成す時が来ていると思います。》



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