新「平和の主人 血統の主人」

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

「氏族的メシヤ」の失敗と「聖和」

「御言葉を解く鍵」の重要ポイントとなっている「単一性」という概念から「氏族的メシヤ」をみるとどうなるのでしょうか?


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もう一度、言語の定義である ➡ 「単一性」について整理します
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  「単一性」という言語が語られている御言葉が下記です。

御言葉〔A〕 「神様の摂理から見た 南北統一」2-5-6-2


 それでは、(※1そのような道しるべ民族はどのような民族でなければならないのですか。

このように徹頭徹尾貫かれた敬天思想を中心とした民族でなければならないでしょう。


「我々だけがアジアにおいて天のためになる主導的な何かをもっている」という思想をもった民族でなければなりません。そうでありながら、できることならば総合民族よりは(※2)単一民族でなければなりません。なぜそうなのでしょうか。総合民族は純粋ではないからです。


・・・・・


(※3)科学世界は公式発達の世界ですが、その公式というものは単位を通して形成されるのです。その単位というものは変わるものですか、変わらないものですか。総合的な内容を含んだものですか、単一的な内容を含んだものですか。どのようなものですか。定義という言葉は総合性ですか、単一性ですか。(単一性です)単一性だというのです。


 (※4)そのような意味から見るとき、秤だとか標準というものは、そのような混合体にはあり得ません。そのような混合体全体を代表して、四方を代表することのできる標準的な内容をもたなければならないでしょう。


このような結論が出るために、(※5)そのような民族というものは、単一民族でなければなりません。(八一―一八八)



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(※3)・・・「定義」という言葉は 「単一性」だ
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  「定義」という言語を科学的に説明すると・・・
   定義とは総合性ではなく「単一性」だと言っているのです。そして、この「単一性」という言語をもって、(※5)の「(神のみ旨を成す)民族というものは、単一民族でなければなりません」と言っています。



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次に、この「単一性」という言葉で文先生が何を言いたいのか・・・です
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  文先生の御言葉にある摂理的言語に対して、その意味するところは「単一性」であるということを言っているのです。つまり、『一つの摂理的言語に対して一つの意味をもつ』ということです。言い換えれば、一つの摂理的言語に対して二つ、三つの意味はないということです。


  例えば・・・
   (サタン圏の)国語辞書によると、「氏族」とは「父系もしくは母系のどちらか一方の血縁集団」となります。


   ところが、文先生はが言う「氏族」とは、国語辞典と違っている。それが分かるのが下記の御言葉〔A〕〔B〕〔C〕です。


御言葉〔A〕 天聖経 祝福家庭 第四章 二 2. ①
 「統一教会の教団は、氏族です。氏族なのです。私の血が共に動くのです。私が涙を流すならば涙を流さなければならないし、私が喜べば喜ばなければならないのです。血族なのです。



御言葉〔B〕 天聖経 祝福家庭 第二章 二 1. 
 「神様の歴史は氏族での民族編成運動なので、統一教会の先生を中心として一九六〇年代の聖婚式、すなわち祝福のあとから本格的な氏族編成が展開するのです。それが三十六家庭から七十二家庭です。」



御言葉〔C〕 根本復帰 氏族的なメシヤの使命を完成しなさい 1971年1月10日 江原道・江陵教会(聖日礼拝) 


 「統一教会は今、神の愛を受ける氏族圏となって、アベル的立場に立って民族を救う仕事をしているのです。(※1)それが自分の欲のままにしては成りますか。では、誰の御旨通りに生きなければなりませんか。(「神の御旨通りに生きなければなりません。



  ①と②の違いは明確です
  ①は、自分の肉親の父を中心とした血族を言っている。
 これに対して、
  ➁は、統一教会の文先生を父とした祝福家庭を言っている。
  そして、なんと、文先生は1971年の御言葉〔C〕で「自分の欲のままに、自分の肉親の血族を伝道してはみ旨が成就しない」ことを警告しています。この警告は、信徒の中にこの「氏族」を自分の肉親の血族としている者たちがいる為になされたとみるべきです。



事実、私たち信徒たちは、今(2024年)に至っても、幹部から末端に至るまで、先祖解放同様に、「氏族」を自分の肉親の血族としてしまっているのです。この為、1992年以降、本来の氏族であった祝福家庭が結束できず、散り散りバラバラになってしまったのです。ですから、今なお、社会、国家から打たれ続け、再臨のみ旨は延長されたのです。



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整理しますと・・・
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  私たちは、これまで、御言葉の「氏族」という言語に対して、文先生の警告を知らず、或いは、無視、読み手の都合で、ほとんどが自分の肉親の血族と解釈している。そして、祝福家庭を氏族とする文先生から遠ざかってしまったのです。信徒の幹部から末端に至るまで、自分の欲のまま願いのまま、何の疑いもなく、この「氏族」の解釈を全て自分の肉親の血族としているのです。



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これを 結論的に整理しますと・・・サタンが侵入した
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  「真の父母宣布」時代の三大摂理の一つ、「氏族的メシヤ」にサタンが侵入したのです。もちろん、「還故郷」も「先祖解放」も同様に文先生の言語の意味と同一にならなかったのです。



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「氏族的メシヤ」の本願は何であったのでしょうか。
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  「氏族的メシヤ」の本願は、1992年に迎えた「真の父母宣布」に対して御言葉を総括すれば、「メシヤを迎える基台」とならなければならなかったのです。


  40年サタン分立による統一教会の苦難路程により、祝福家庭の氏族的基台が壊れたままになっていた為、この「メシヤを迎える基台」を再造成する摂理が「氏族的メシヤ」であったのです。
  生き残っている数万の祝福家庭の中から、文先生を中心とした180数、或いは、120数の祝福家庭を探し出し、これをダイヤモンドのような基台にしなければならなかったのです。しかし、文先生がメシヤとして立つべき「氏族的メシヤ」基台の再造成は叶いませんでした。



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私たちは不信した者であると同時に・・
   歴史的事実を目撃した証言者にならなければならない
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  文先生は、2013年の基元節を間近まで待たれながら、最終的に、この祝福家庭をもって「メシヤを迎える基台」の再造成ができず、中心家庭までもが崩壊してしまったのです。


  そして、イエス様同様に、全てを失ってしまった文先生は自ら死の祭壇をつくられ、その祭壇に上がられたのです。40年サタン分立路程勝利の基台にサタンが侵入して60年路程となり、文先生は、立ち並ぶ弟子たちの不信を許し、何も知らない立場に立たされていたお母様の不信を許し、遠くに放置されたままになっていた子女様たちの不信を許し、全祝福家庭の誰からも理解されなかった。文先生は、サタンと人類の全ての罪を引き受けれ、自ら死をもって総蕩減を完了させたのです。それが聖和であり、これによって、実質的に蕩減のない再臨時代が出発したのです。


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