⑨-5 「御言葉を解く鍵」 §5「私・自分」 古い祝福家庭がつくった 文先生とお母様の神格化を捨てよ!!
古い祝福家庭がつくった 文先生とお母様の神格化を捨てよ!!
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御言葉〔A〕
「私」「自分」「息子」「不義の父母」「孝子」「先生」「父母」「人間」
➡ これら全て『文先生』とすると・・・
・・・とても濃縮された御言葉になって文脈全体がスッキリする
さらに、表現が、文先生にとって最も悲しいことが文学的にさえなっている
・・・他の御言葉全体とも一致する
・・・堕落した立場に立たれた文先生とも一致する
・・・これが正しいことが(※1)(※2)で分かる
(※1)(※2)の解説は省略します。解説がほしい方はコメントしてください。
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前回も言いましたが、どうして、全てが『文先生』になるのか。それが次の「御言葉を解く鍵」になります。
「御言葉を解く鍵」
① 下記の御言葉〔B〕にある『言語の定義が「単一性」』という基準
➁ 下記の御言葉〔C〕にある「二重的な言葉の相対となる『対応語』を見つけ出す」
➂ 前の記事「六つの条件」の基準に立つ
御言葉〔A〕
「私」1963年2月5日(火)PM7:30 前本部教会
神様と(中心家庭が)一つにならず混同状態にある現実
さあ、それでは神様が頬を「この野郎!」とぶたれたら「どうしてですか?」と言うでしょう、言いませんか? 言うでしょう、言いませんか?「言います」あ、素直に話しなさい。「言います」そうなんです。お、もう手足までふるわせて・・・。
しかしながら殴る時には、自分が良くなり立派になることを願ってぶつなら、ある打つ人間があるとして、100%その人が間近な立場で打つなら、愛する父母がいて息子を殴る時に「このようなことは、私のためを思ってのことであり、私を貴くするために、私をより立派にするために、私を価値あるものにするために、私を世界的なみ旨を抱き、世界的な目的を持つことができる段階まで上らせるためなのだ」と考えなければなりません。背後にこのような大きな意味を持っているのです。
背後の大きな福の機関、あるいは福の価値の問題を与えるために打ったということを知る時には、鞭打たれてどうするのでしょう? どうなるでしょう? 自分が鞭打たれる痛みよりも千倍万倍、大きな福を与えてくれることを知ったなら、鞭打たれても感謝するでしょう。そのようにする素質がありますか? ありませんか、ありますか?「あります」そのようにする素質のない人は、明日の朝には荷物をまとめて帰りなさい。(笑い)
ですから昔から言うのに、憎い子には何をあげるのですか?「ごはんを多くあげるのです」憎い子には?「餅です」餅1個よけいにあげるのです。餅ひとつ。「昔から食らえ、こいつめ!」これは早く滅びろということです。孤雲の子女には・・・。昔からこんな言葉があるというのです。これはなぜ、このようになっているのでしょうか。
(※1)鞭をふるって打つ時に、不義の父母の前に打たれる時には、逆らっても天法に外れないのです。不孝をしなければなりません。今日、歴史の終末時代においては孝子・孝女の道理がみな壊れているのです。みな壊れているのです。みな壊れなければなりません。先生はそのように考えます。壊れてしまえ。壊れてしまえ。父母が父母のようではなくなったのです。子女のために鞭をふるって打ったとしても。
「この子よ。おまえ、自分のめしも稼がないで食うのか?」こんなことはありまん。それはきっと天道に背くことです。今日、家庭が散々に壊れ、社会の我々の趣味がみな破壊されているということは、人間がそうしているのではなくて自然的に、歴史的環境がそうなっているのですが、自動的にそうなることはないでしょう。
(※2)人間がいまだ理解しがたいある動機の裏面の世界において反応が起こり、現実に現れたことを理解できないのでそうなるのです。ですから散々に壊されてしまうのです。みなそうでしょう?
御言葉〔B〕
神様の摂理から見た 南北統一 第二章 第五節 六. 2
「科学世界は公式発達の世界ですが、・・・定義という言葉は総合性ですか、単一性ですか。(単一性です)。
(※1)(言語の定義は)単一性だというのです。」
御言葉〔C〕
「双合十勝日」宣布の御言葉
2004/5/5 ファミリー 2004/10 P23
「いつでも、(※2)二重的な言葉の相対を見つけ出さなければなりません。(※3)対応語は何かということです。
対応語を見つけ出すのは、私がチャンピオンです。原理世界の正しいことを教えるために、私がすべてつくったのです。」