お母様の第一次七年路程は中心家庭と祝福家庭の運命と同一であり、第二次は国家の運命が同一であり、第三次は世界の運命が同一となる。
お母様の第一次七年路程は中心家庭と祝福家庭の運命と同一であり、第二次は国家の運命が同一であり、第三次は世界の運命が同一となる。
真の父母様の生涯路程 10
第四節 二
イエス様の三年公生涯の解怨
(※)第二次七年路程と国家の運命は同一です。
この路程は、長成期に該当し、イエス様の時代にも該当しています。この七年路程の中で、私たちは、国家と国民、そして既成教会が私たちの運動と一つになるようにしなければなりません。これを、イエス様が三年の公生涯路程を歩んだように、三年以内で成し遂げなければなりません。一九七〇年から一九七二年までが、この三年期間に該当します。それで、祝福家庭の夫人たちを一線に送り出したのです。それは、イエス様がその使命を果たすことができなかったからです。
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(※)「第二次七年路程と国家の運命は同一です。」
この言葉からすると、
第一次七年路程はお母様の七年路程になりますから、レアの立場にあるお母様が祝福家庭を代表したラケルとどのような基準を残されるのか、即ち、一つになるのか、争いごとを残すのか、このいずれかによってお父様のご家庭とその子女様、更には、祝福家庭の氏族圏の運命が決まることになるということです。
既にこの結論は出ています。
更には、この第一次七年路程が第二次七年路程と第三次七年路程に深く影を落とすことになって、お父様はダンベリー刑務所に収監されるなど、統一教会は世界の国々から大迫害を受け続けました。
イエス様の十字架の死は洗礼ヨハネの責任が果たされなかったが為にあったと原理講論にはありますが、後にお父様は洗礼ヨハネが不信仰に陥った要因がレアとラケルであるエリサベツとマリアの不一致にあったと語られ、これがイエス様の十字架の直結したと語られています。
これと同じ様に、お父様の苦難の十字架も常にこの様なレアとラケルの不一致にあったが為に、繰り返し繰り返し苦難の道を歩まれました。