新「平和の主人 血統の主人」

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

皆さんも確認してください・・・『朴老婆=韓母』

『朴老婆』は扇の要になっていた!!


『朴老婆と韓母』についてはまだ考察中です。ここで、御言葉の先出しですが記事にしました。(まだ、誤字があるかもしれません)


この御言葉は真の御父母様の生涯路程にある『朴老婆』に関する内容です。これだけでも、注釈入りですが、『朴老婆=韓母』であったことが十分すぎるほど理解できるはずです。


詳しくは、許女史も取り上げて、『朴老婆=韓母』であったことを次回に考察します。


 

【御言葉F

真の御父母様の生涯路程2 第二節 五 


六 「主なる神の夫人」朴老婆を中心とした摂理


「主なる神の夫人」出現の意義


(※)その時、先生は二十六歳の年齢でしたが、霊的な世界のプログラムをすべて組み立てていたのです。「復帰の道はこのように行くのである」と、はっきり組んでいたのです。霊界においてある程度までの基盤を築いて、実体の世界に向かって出るのです。


 男から祝福の相続を受けたならば、女からも祝福の相続を受けなければなりません。そのため、金百文の集団を中心として、男性の前で祝福を受けたので、(※)女性からも祝福を復帰しなければなりません。そうでなければ、今まで韓国の全土で神様が築いておいたすべての摂理の基盤の相続を受けられないのです。


(※)そのために、「私は神様の夫人である」と言う、地上において神様が直接導ける婦人が出てこなければならないのです。そうすれば、その婦人を神様が直接導くために、神様を中心として連結される霊的世界が、ここに動き入っていくのです。そうして、初めて地上に着陸できる基地を、一人の婦人を通して、すなわち「主なる神の夫人」だという婦人を通してつくるのです。


 エバとは何かといえば、アダムの夫人なのですが、

(※)神様の外的な夫人であるというのです。外的な夫人だというのです。それは正しい話です。(韓母の独生女宣言、蕩減的・摂理的には正しいということ)

神様の夫人だとか、主の新婦だとか何とか、そういう人が現れて、(※)相対的に実を結ばなければならないのです。(文先生が韓母の相対となった)


 解放されたその年に、先生が南にいながらシオン派、新約的エデン復帰派である金百文集団に入って、六ヵ月の間そこにいました。大韓民国の神霊的、人々と全国にすべて、通じる所です。そこで「あるおばあさんが神様の夫人だと言っている」と言って、(※)金百文一派が嘲弄するのです。私は、その話を聞くや否や、北側に行ったのです。(お母様に女性信徒たちが嫉妬して統一教会に冬の時代があった)


善悪の中間立場の役事


 その婦人が、朴氏(朴ウルリョン)ハルモニでした。その婦人は、復活したエバであると同時に、堕落直後のエバの身代わりの役事をしているために、二つの側の役事をする人でした。

(※)ある時は神様も入ってきて役事され、またある時はサタンも入ってきて役事をする、緩衝型の実体です。(これが韓母)


(※)その夫は、韓氏の姓をもった地方の有力者でした。(文先生が第三イスラエルの最有力者であった立場)


また(※)その家に十人の息子(息子と娘)がいた(三人がなくなっているのでちょうど10人)のですが、その息子たちが、どれほど、たちが悪かったか知れません。その家は、平壌で一番の金持ちだという人の、妾の家です……。(お母様は本妻であったが、内的には妾の位置)


(※)主管性を転倒したエバにおいて、悪は悪なりに、善は善なりに収拾しなければならないのです。天が蒔いた善を、(文先生が)一時に収拾しなければなりません。

(※)そうしようとすれば、数多くの僕、天国の卑しいはしため、浮気者、淫女たちから収拾して上っていかなければならないのです。(黙示録 韓母=大淫婦)

悪いものは全部整理して、別々にしておかなければなりません。真なるものは真なるものとして全部まとめて、(※)女性を代表できる一人の母の代身者(韓母)を、再創造しなければなりません。


最低の立場で絶対服従し仕える


 天的な使命を担って、天のプログラムがどのようになっていき、どのように帰結されるかということをすべて知っていた先生は、

(※)何も知らない小さな子供のようにして、そのおばあさんが死ぬ時まで、精誠を尽くして侍りました。(文先生が死ぬまで韓母に侍った)そのおばあさんの僕になるのです。完全に僕の暮らしをしたのです。

(※)そのおぱあさんを伝道したのではありません(原理教育を意図的にしなかった)。先生は、その息子、娘たちに敬礼までしました。人々が先生に従い侍りたくて、何でも貴いものを持ってきてくれると、先生は、おばあさんの家族たちの前に、すべて持っていき、捧げるのです。


息子、娘が見張っていて、夜も寝かさずに仕事をさせようとするのです。しかし、それをすべて克服しなければなりません。(カインアベル(聖進様と喜進様、孝進様と興進様、顕進様と国進様)の葛藤の為、苦難が続いた)


(※)私は、その家の子供たちが大便を漏らしたものまで、みな片づけました。(子女様たちカインアベルの葛藤の為、霊的な後始末までした)その時、五十七歳になったそのおばあさんの月経のものまで私が洗ってあげたのです。何、家に帰って寝るですって? 

(※)「寝ろ」と言う所に行って寝なければならないでしょう。「納屋で寝ろ」と言えば、そこで寝なければならないのです。(筆舌ではあらわせない文先生の十字架があった)

 さるまたまで作って、着せたのです。「しろ」と言えば、しなければならないのです。(※)絶対服従しなければなりません。(最終的には、文先生がお母様に服従し続けた)

「風呂に入れてくれ」と言えば、入れてあげなければならず、その家から背負子を背負って十里の道、百里の道を行ってこいと言えば、行ってこなければならないのです。


 それゆえに、愛をもって行くところには垣根がありません。どこへでも行くのです。(※)その愛は良いのは良いのですが、行く道は悲惨だというのです。二律背反です。犠牲奉仕です、犠牲奉仕。


段階的な証と祝福


 僕のように扱われるその位置で、精誠を込めれば、次々に復帰されるのです。(※)この期間(1945-1952)は、先生が「原理は必ずこうだ」ということをはっきり提示する時まで、実験する期間です。(1960-2000までの40年期間は、原理の同時性を教本として生きた文先生だった)


(※)僕から上がっていきながら、「あー、ここに神様が愛する僕が来た」、その次には「養子が来た」、そうしながら、どんどん上がっていって、祝福を復帰しなければならないのです。(韓母に対する文先生の勝利が統一教会の発展の原動力となっていた)


(※)主管圏を転倒させることによって、女性の前にアダムが押さえつけられて堕落したのと同じように(この姿こそが韓母から文先生が押さえつけられていた)

(※)この主管圏を再び転倒して、そのおばあさんを通し、僕から養子、庶子、息子の位置まで上がっていけば、「天の国の総理大臣である」と証をするのです。

(※)その次には「天国の全権を代表したイエス様の位である」、その次には「神様の対象実体である」と、はっきり証をするのです。

 天の総理であると同時に、イエス様の身代わりであると同時に、神様の身代わりであると、はっきり祝福するのです。宣布するのです。(※)その宣布する式がぱっと終わった次には、自主権をもって、反対にひっくり返すのです。(韓母はまだこの段階には至っていない)


(※)アダムの権限を(韓母が)蹂躙したのを、アダムがここで蕩減的条件を立てて復帰したので、アダムの位置に立つためには、(韓母が文先生に)完全に反対にしなさいというのです。


主管性復帰と朴老婆の不信


 そうしたのちにこそ、(※)先生が「私があなたに仕えたのと同じように、あなたも私に仕えなさい」と言ったのです。(これはこれから起こること)今まで僕の僕の立場から、誰も成し得ないことをしながら自分に仕えていた人が、自分が言った一言の証とともに、権威を立てて「すぐに私がしたように私に対してもそのような僕の業をしなさい」と言うので、彼女には青天の霹靂と同じです。先生は、証をするその言葉を受け、即座に「敬礼しなさい」と言いました。(※)それが、復帰するための主管性転倒です。(韓母の文先生に対する主管性転倒が聖和だった)


(※)「今までこれこれこのように先生に従っていき先生に仕えようとしたのに、こうまで自分に容赦なく命令することができるのか。僕に対するように命令できるのか」とひっくり返るのです。人間的な考えでしょう。(これこそが韓母の姿)天の定めた標準になっていれば、きのうの弟子でもきょうの師匠になり得るし、天の国の王子の位置にも上っていけるのです。

(※)自分の息子、娘がみな、一夜にして王妃になり、皇太子妃になれば、そこに頭を下げなければならないのが父母の立場なのです。(文先生が子女様に侍ったように、本来であれば韓母も子女様に侍らなければならなかった)


朴老婆の不信の結末


(※)そのようにして、二つの群れに分かれるのです。おばあさんに同情する連中と先生に従う群れ、二つの群れにすべてが分かれるのです。(韓母のグループと顕進様・国進様のグループの二つ)おばあさんも先生に従わず、おばあさんを支持した人たちも先生に従って来ないので、そこで分かれるのです。


 こうして、すぐにそのおばあさんは精神異常になったのです。そして(※)「文なにがしという人は天国の逆賊であり、世の中のすべてのものを奪っていき、自分のすべてのものを盗んでいった」と言うのです。(今後、韓母に起こる可能性大)


 ゆえに、(※)完全にサタンが発動するのです。そうして、ありとあらゆることが起こったのです。おじいさんを連れて歩き、息子、娘を連れて歩きながら、梶棒で私を殴り殺そうとするのです。そうこうするうちに、(※)そのおじいさんがぽっくり死にました。天に対して自分の責任を果たせない時は、そこにサタンが侵犯できるのです。それは本当に恐ろしい死に方でした。私を殴って追い払おうと、杖を持って出てこようとしたところで倒れて死にました。全身が青くなって、腹が張り裂けて死んだのです。棺に入れられないくらいに膨れていました。


 (※)私がその人の話をみな聞いてあげて、その人の仕事を助けてあげたならば、その次には私の話を聞いて、私の仕事を助けてくれるのが人間世界での礼法であるのに、そのようにしないのです。そうなると、その女性が今までどんなに多くの精誠を込めたしても、無駄になるのです。(韓母が全てを失うということ)私は、その女性が精誠を込めたものを、私にすべて移して、くくってきたのです。それゆえ、天から始めたか地から始めたか、すなわち、神様中心か自分中心かということを分別できなければなりません。


四十日霊界勝利と神様の御印


 どのような試験まであったのかといえば、(※)四十日の試験期間がありました。その時は、霊界のすべての霊人たちが、みなそのおばあさん味方になって、責め立ててきます。イエス様までも先生の所に来て頼みながら、「そのおばあさんは主なる神の夫人であり、神様が愛する娘ですから、どうか侍らなければならない」と言いました。けれども、先生は天理の原則をもって彼らと戦いました。先生は一人で四十日間、今まで来て逝った数多くの霊界の道人たち、イエス様と神様まで全部が動員された全霊界と戦いました。(特に、1992年以降の文先生が韓母と歩んだ全てがそうだった)


(※)戦場の天地にしてしまうことができないので、天は、四十日の期間が満ちれば、結局判定を下してあげなければならないのです。(韓母に対する判定はすでに下っているのですが、三次に渡る21年路程が終了する1960+21+21+21=2023年まで、韓母には猶予期間がある)


 天理の原則でなければ天と地が滅びるのです。先生が探してきたこの道は、間違いありません。先生は最後の決戦で、勝利したという判決を受けました。

(※)イエス様以下数多くの霊人たちが、逆賊として追い込んで反対した文という人の主張が、復帰の恨を解く原則であり、天倫の秘訣の中の秘訣であるという判決を受けて、勝利の基準を立てたのです。


 (※)「文総裁は洗礼ヨハネで自分が再臨主だ」と言いながら、「自分が再臨主、メシヤだ」と言う人々がたくさん出てきたでしょう。(この極みがお母様になった)みな、やってみなさい。「しるしがあるか」と尋ねられれば、どうしますか。メシヤならば、霊界の総決議により公認を受けて神様からのしるしがなければなりません。(韓母には天の公認がありません。韓母は文先生によって朴老婆型として教育してつくられた人物です)


女性心情の代の伝授と獄中暮らしの苦しみ出発


(※)このような業をしながら、そのおばさんのような通じる人を再び立ててくるのです。(これが韓母)


(※)神様の夫人から始めて本然の母の位置を取り戻すためには、(文先生が)八十歳(2000年)から再びするのです。八十歳から七十歳、六十歳、五十歳、四十歳、三十歳と、そのような基準を中心として、これを再び延長して(2000-2012、さらに、三次21年路程終結2023年まで)、母の時代まで、お母さんの年齢(80歳-2023-三次21年路程)まで下りてくるのです。それを、みな収めなければなりません。


(※)朴氏ハルモニが先生に反対したので、代わりに他の人を立てるようになりました。

エバは再創造できる原則があるためです。家庭的な基準を立てられなかったことにより、先生は平壌で一九四八年二月二十二日に収監されて、二年八ヵ月の間、獄中にいました。(韓母が責任を果たせなかった為、文先生は聖和されるまで牢獄の生活となっていた・・・囹圄の神様)


それは(※)洗礼ヨハネが使命を果たせず、イエス様が十字架の道を行かれたのと同じことでした。(御言葉=韓母は洗礼ヨハネの使命があった)


獄中には、ラケルの立場である金氏が共に収監されていました(※)金氏はラケルの立場(崔元福女子・御言葉を聞いて妾の立場)、朴氏ハルモニはレアの立場(韓母・御言葉を聞いていない本妻の立場)であり、さらにまた羅氏(洪順愛女史?金孝南女史?)という婦人がいました。この三人の婦人が先生に協助しなければならなかったのです。失った娘、姉、母、この三代の心情を復帰するために、おばあさんから二十代の年齢の女性に至るまで、みな復帰しなければなりません。先生は、三時代の女性を復帰する基準を立てなければならないので、心情の十字架を背負う道を行かなければなりませんでした。それに比べると外的苦難はなんでもありません。


 (※)そのような復帰の基準、主管性転倒の基準を築いたならば、実際に行って取り戻してこなければなりません(韓母が文先生に対して主管性転倒をし続けた結果、聖和によって取り戻した)

人類の僕の僕まで取り戻してこいというのです。それを取り戻すために、最低の場である監獄(七度目の監獄が統一教会の中になった、囹圄の神様)にまで行くのです。監獄から門を開けて、出てくるのです。



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