お父様からの厳しい警告! 【1973年の御言葉】 顕進様、国進様、亨進様に対する警告的な御言葉 ➡ 「使命を果たさなければ 新たな使命者に引き継がれていく」
常に誰かに向かって石を投げるという、分裂闘争は文先生のご心情にそぐわない
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【御言葉】亨進様への相続が絶対ではない!!
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父様からの厳しい警告
【1973年の御言葉】 最終的アンカーである顕進様、国進様、亨進様に対する厳しい警告的な御言葉 ➡ 「使命を果たさなければ 新たな使命者に引き継がれていく」
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下記の【1973年の御言葉】の考察 深刻な警告的御言葉
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もし、あなたがこの考察を読んで憤りを感じるなら、顕進様と国進様(亨進様)の『分裂』を問題視していないという間違いを犯しているのかも知れません。
あくまでも、アダム家庭の原則はカイン・アベル・セツの三人の一体化です。復帰はお父様を入れて八人家族のはずです。
以下、憤る心を鎮めてお読みください。
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【1973年の御言葉】の(※1)「私(文先生)の時代に蕩減の結末をつけようという因果応報の歴史があります。」
それは何でしょうか? ➡ 『アダムの再創造』 です。
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メシヤの使命 ➡ 文先生が真のアダムとして来られ ⇒ 一旦堕落したアダムの立場に立つ ⇒ さらに、失敗したイエス様の立場に立つ ⇒ 文先生自らがアダムを再創造する
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(※2)「その人は偶然な存在ではありません。」
この「その人」という、究極的人物とは誰でしょうか?? 『韓母』『子女様』
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「その人」とは ➡ 文先生に最も影響を与えた人物のことです。
「その人」はたくさんいます。
第一に・・・第一夫人、第二夫人、第三夫人の韓母であり、
第二に・・・洗礼ヨハネの使命者(金百文牧師、劉協会長、三弟子、郭錠煥氏、金孝律氏、金孝南女史)であり、
第三に・・・子女様(カイン・アベル)であり、
第四に・・・成約時代の第四アダム圏から顕れるお方?
中でも、有力な候補は ➡ 終局的な「その人」とは黙示録に記されている『大淫婦の女(韓母)』と『二本のオリーブの木である子女様(顕進様と国進様)』です。
しかし、韓母と子女様がその責任を果たせなければ、(※3)に「そうすればその近所の人が福を受けるのです。」とあるように、第四アダム圏全体に拡大されるようになるのです。
文鮮明先生のみ言集 訓教経(下) (2000年書籍)
24.三時代のための責任
(一九七三年八月一日 韓国前本部教会 『文鮮明先生み言選集第六十八巻』)
◆人類歴史は因果応報の歴史
長い歴史について見れば、現在には関係がないけれど、歴史時代の先祖から関係があって、(※1)私(文先生)の時代に蕩減の結末をつけようという因果応報の歴史があります。したがって、今日私の前にある人が現れたならば、(※2)その人は偶然な存在ではありません。
万一、彼が私との瞬間的な出会いで、私の一生を破綻させるようなことがあり、私を殺すようなことがあっても、死ぬその時に、私がどのように死ぬかということが問題です。
刃物で刺されて死ぬという最後の道を行く運命に立っても、私が死ぬ瞬間にどの方向を携えて死ぬかということが問題です。
(文先生が)自分の欲望をもって死ぬ日には、罠に落ちるのです。
しかし、人類のための公的な欲望をもって、そういう方向に曲げておいて死ねば、彼(文先生)の代を再び引き継いで、その方向について行くことができる人(顕進様、国進様、亨進様??)が必ず生まれるというのです。
そして、そのような先祖(文先生)を通じて、この時代に生まれた現在の氏族(祝福家庭・第三イスラエル)はどうなるでしょうか。
彼らが関係を結ぶことができる、内的な因縁を立てなければ方向を失うために、その方向を残すために、神様はその人(顕進様、国進様、亨進様??)が不意の運命(分裂)にぶつかったとすれば、他の人を通じてでも必ずバトンを受け継いで、方向を選んで行けるようにするのです。
ある人(顕進様、国進様、亨進様??)を中心として始めれば、その人を中心として代を継げば良いでしょう? もし父がそういう使命に責任を負って代を継いだ時、その息子と娘が再びその代を継続することができれば、神様は間違いなくその息子、娘を立てるというのです。
けれども、その人(顕進様、国進様、亨進様??)に息子と娘がなく、また、いたとしても代を継ぐことのできる息子と娘であり得ないときはどうするでしょうか。
仕方なくその親戚(祝福家庭・第三イスラエル)の中で代を継ぐ人を探すのであり、もし親戚中にもいないときは、その近所でその一族と婚姻の関係を結んでいる八親等までを連結させるのです。
関係のある血族がそれを受け継ぐことができないときは、その親戚の中から、親戚の中にもいないときは、その近所の人の中で、それを受け継ぐ人を探すというのです。(※3)そうすればその近所の人が福を受けるのです。