コメントありがとうございます・・・【Picard】さんへの返信
【Picard】さんからコメントを頂戴しました。
そのコメントは以下をクリックしてお読みください。
再び再臨を預言していた 【1976年の御言葉】 ➡➡ 聖和してから・・・後輩に再び再臨して再蕩減が必要となる - 新「平和の主人 血統の主人」
このコメントに対して、私の所感を返信しました。
その所感をもう少し編集して、以下の記事とします。
>Picard さん
この記事は・・・改ざん解釈なのでしょうか。私は全くそう思いません。
お父様が御言葉の中で語られている「自分」「私たち」という言葉に対して、私は、お父様ご自身が堕落した立場に立たれている位置で語られていると判断しています。
しかし、家庭連合の方たちや、貴殿のように、お父様は堕落していない完全なメシヤの位置にいるとしている為か、この「自分」「私たち」をお父様にはあてはめることはできず、そうなると読み手の私自身として読むしかありません。
これは大きな過ちです。
御言葉の中にある「自分」「私たち」という言葉には、たしかに、読み手の私自身を言っていることのように思えます。(私も過去はそのように読んでいました)事実として、そのように読んでもいい御言葉もたくさんあります。しかし、私はそのほとんどが、お父様になると私は判断しています。
判断の理由は何か??
その理由は、お父様がご自身を真の父母と言ったとしても、あくまでも、未来線上からの出発として言っていること。さらに、お父様は、真の父母に合致する人はこの地上に一人もいないと明言しています。さらに、真の父母の条件は男と女が二人一緒に直接主管圏に入った時と定義的に明言しています。これらからしても、お父様は御言葉をご自身が堕落した場に立たれている立場で語られているのです。
御言葉を読む時の立ち位置が、私と貴殿は違っているのでしょうね。
もう一つあげれば、「人間」「男性」という言葉も、これも基本的にはお父様のことを言っていると考えています。
空想的御言葉に陥る
仮に、「自分」「私たち」「人間」「男性」という言葉をお父様ではないとするなら、御言葉そのものが理想的・空想的・実現不可能な御言葉になってしまいます。他にも、「自分」という言葉を用いた御言葉が山ほどありますから、貴殿自身で確認することをお勧めします。そうすれば、御言葉が理想的空想的であり、御言葉の基準を成就することは堕落人間たちが寄り集まっても不可能のはずです。
ご自身を隠されている
あくまでも、お父様は不信している弟子たちに対して、イエス様と同じようにご自身を直接語ることができず、ご自身を「自分」「私たち」「人間」「男性」という言葉に隠され、あくまでも、お父様にしかできないこと、お父様が成すべきことを語れていることが分かるはずです。よくよく、全体の御言葉からご判断ください。
とは言え、お父様が完成人間なのか?堕落した立場の人間なのか?によって判断は分かれますから、過去のとおり、お父様を神格化的に完成した真のアダムとするなら、どうしようもないのかも知れません。パラダイムシフトが起こっていたにもかかわらず、観念的な空想的信仰に陥ります。
昨日の記事の御言葉にある『自分の一生、七十、八十年においてこれをどうすることもできないのである。』という御言葉は、既にお父様はご自身をそのような立場においているということです。私はそう判断しています。事実、お父様の最後はそうなりました。
お父様を蔑んでいるのではない
だからと言って、私はお父様を蔑んでいるのではありません。その反対です。お父様が真のアダムとして再臨され、そして、キリスト教の失敗により、やむなく堕落した立場に立たれて40年サタン分立路程に勝利され、再び、真のアダムの資格をも復帰されました。にもかかわらず、1992年の真の父母宣布にサタンが侵入し、この地上に、お父様と一体となる人間が誰一人いなくなってしまった為、真のアダムの完成位置に上がることができなくなっているのです。
横的蕩減復帰時代に入っている
だから、お父様は縦的蕩減路程としてご自身を位置づけ、そして聖和され、今は、横的蕩減復帰時代に入っているのです。わたしは、そう判断しています。
キーポイントは何か。それは、お父様の堕落問題の原因を知ることです。天聖経には至る所に語られています。天聖経ばかりではありません。いつの御言葉にもハッキリと語られています。
また、どんなコメントでもいいですから、よろしくお願いします。