新「平和の主人 血統の主人」

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

【御言葉の『私』とは・・・一体誰か??】 ➡ 言語の定義は単一性 ➡ 御言葉に解釈の”揺れ“があってはならない

【御言葉の『私』とは・・・一体誰か??】 ➡ 言語の定義は単一性 ➡ 御言葉に解釈の”揺れ“があってはならない


これが分かれば、御言葉が全く別な意味を持つようになります。


昨日の記事は理解できましたでしょうか??


本日は『私』についてです。御言葉に解釈の”揺れ“があってはならない。


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【御言葉A】の『私』とは・・・一体誰のこのか??
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私たちは今まで、御言葉の中にある『私』とか『自分』という言葉を「読み手の私」として理解して読んできたはずです。何故でしょうか。その理由は簡単です。この『私』とか『自分』という言葉を語りての『文先生』として読むと、統一教会が神格化してきた文鮮明像が崩壊する為です。困ったものです。


神様の契約書・・・旧約聖書、新約聖書、成約聖書(八大教本)
旧約、新約、そして成約時代を蕩減して歩まれていた文先生の御言葉(八大教本)は神様との契約であったはずです。つまり、旧約聖書も新約聖書も、そして成約時代の八大教本も神様との契約書であるはずです。


言葉には厳格な定義がある
そうであるとするならば、契約書に記されている一つ一つの言葉には厳格な定義があるはずです。皆さんは銀行から借入する時の契約書や、企業間の契約書を読まれたことがあるでしょうか。その契約書に書かれている一つ一つの言葉の解釈に”揺れ“はありません。どの言葉も一つの意味だけを持った言葉です。契約違反すれば全てを失います。読み手によって変わるような二つ以上の意味を持った言葉は用いません。こんなことは絶対にあり得ません。


御言葉は厳格です
それを示す御言葉が下記の【御言葉B】【御言葉C】です。
ですから、下記の【御言葉A】の『私』とは一体誰になるのでしょうか。読み手の私ではありません。この『私』とは天の全権大使(息子)である文先生であることは明らかです。


ですから、他にも沢山ある『私』という言葉も、読み手の私にも思えるようであっても、そうではなく、すべて私たちの命の源泉であられる文先生を語っているのです。昨日の記事の『自分』という言葉もそうです。最終的に私たちは再臨主である文先生と一体となること以外に救済の道はないのです。


単一性の言語を用いているのが契約書
この世の契約書においてそうならば、天の約束である契約書《旧約聖書、新約聖書、成約聖書(八大教本)》はなおさらのことです。【御言葉C】から分かるように、これらはすべて、時空を超えて単一性の言葉で定義的に語られているのです。ですから、成約時代の道を開いた八大教本もそう読むべきです。


危機に瀕している全家庭連合
このように、単一性という厳格性の上に立って御言葉を読まなければならないはずです。
御言葉は文学ではないのですから、御言葉が語り手や読み手によって変わるような言語ならば、早々に混乱をきたすことは間違いありません。事実、いま、読み手の都合で読んでいる為、全家庭連合は危機に瀕して死人同然のようになっています。


下記の【御言葉A】の『私』という言葉は文先生になります。そうだとするなら、これ以外の御言葉にある『私』も文先生であるはずです。そうではないでしょうか。あなたはどう思われますか。御言葉から『私』『自分』を探し出して確信されることをお勧めします。


【御言葉A】


「我々と善悪闘争史」   1984年3月11日


 きょうは、『我々と善悪闘争史』という題目でお話ししましょう。


堕落した私たちの世界には二つの道がある、ということは原理を通してはっきり知っています。一つは善の道であり、今一つは悪の道です。


では、もし堕落ということがなかったなら、この世界はいかなる世界になっていたのでしょうか。そのことを皆さんは明確に知らなければなりません。


 (※1)善悪の定義は、『私』を中心としてなされます。


(※2)皆さんが善悪を決定する中心になるということなのです。


では善と悪はいかなることかと言うと、善は神と連結され、悪は神と反対存在であるサタンと連結されるのです。善の道は栄光の立場に連結され、悪の道は地獄に連結されるのです。



注・・(※1)と(※2)は意味が違います。



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【御言葉B 】


天聖経 

人間の生と霊魂の世界 第三章 二 1. 


先生はその様な所においては専門家です。正しい事と間違っている事の分別については専門家です。それで、サタンなのか神様なのかすぐに分かります。全て見た所、違っているのです。ですから押しまくるのです。すると最後に神様も大騒ぎするのです。霊界が混乱して、レバレンド・ムーン一人を中心として、霊界が全て動揺して大変な事になったというのです。神様は審判の主人なので、
最後に主人が責任を負わなければなりません。全霊界がレバレンド・ムーンを前に立て神様に讒訴する局面なのです。

それで、神様が定義を立て審判しなければならないというのです。

二つの闘いを停止させる為には、正しい事と間違っている事を明らかにしなくてはなりません。二つの輩に成っているというのです。



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【御言葉C】


神様の摂理から見た 南北統一 第二章 第五節 六.


「科学世界は公式発達の世界ですが、その公式というものは単位を通して形成されるのです。その単位というものは変わるものですか、変わらないものですか。総合的な内容を含んだものですか、単一的な内容を含んだものですか。どのようなものですか。定義という言葉は総合性ですか、単一性ですか。(単一性です)。単一性だというのです。



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