新「平和の主人 血統の主人」

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

88歳の文先生が告解 ➡ 「お母様との夫婦愛が神様を中心とした初愛ではなかった いまだに抜け出したことがない」

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御言葉の『アダム』とは ➡ ほとんどが文先生です。
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時には六千年前のアダムを語られている場合もあります。しかし、その時は、御言葉前後の脈絡から読み取ることができます。


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   下記の御言葉は文先生が2008年、88歳の時のものです。
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文先生が88歳になって嘆かれている告解です
88歳の文先生がお母様との夫婦愛が神様を中心とした初愛の関係になっていないことを告解しているのです。わかりますね・・・。


私にはそのようにしか読むことができません。皆さんはいかがですか。文先生が語られていた『アダム』『人類始祖』「自分」「私たちの『私』」とは、ただただ、文先生のことであったのでり、原理基準に立った読み方です。これが分かれば文先生の真実が見えてくるようになります。


御言葉


2008年 「第二十五回「愛勝日」の御言」

    天一国八(二〇〇八)年一月二日、韓国・天正宮博物館


 (※1)アダムもそうです。初愛の同伴者になったのか、堕落した愛の同伴者になったのかというと、初愛ではありませんでした。


そこには、違法の愛が生じたので、良心の呵責を受け、垂直にならなければならないのに、曲がったこのような環境与件に衝撃を受け、

(※2)その環境圏内をいまだに抜け出したことがありません。


https://twitter.com/dEMl1sCYpYXDs4z/status/1749095652112699675

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