新「平和の主人 血統の主人」

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

《④》その1 清平の先祖解放の摂理の実態が何であったのか、その真実の姿が明らかになりました。(既に、1993年に語られていた)

前回のつづき・・・


 摂理の実態が顔と顔を付き合させるように見えるようになりました。


《 『蕩減復帰の峠を越えましょう』 》

    (女性修練会) 1993.12.20  韓国・済州研修院


この御言葉を読むにあたって

 (黒文字・紫文字は御言葉です。御言葉は省略していません)


 (赤文字)は注釈として私が入れた言葉です。

 (茶文字)も注釈です。



《 》内は、お父様が【 】で語ろうとされたことに対して、予め語られた原理的な要約になり、この【 】内は、統一教会の摂理的実態が語られています。


つまり、お父様は《 》を語ることが目的ではなく、【 】を語ることが目的であったことが分かります。


しかし、抽象度が強いために【 】の真意を理解した者は皆無だったと思います。


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前回の御言葉のつづきです。



《 ④ ー1 》 お父様が語られた原理的要約



《 だから、ラバンが言うには、「(正妻の位置をサタンが持って行ってしまったので、)復帰路程は、正妻でもってはできないことを知っているのではないですか?」。そうであれば、ラケルは本妻になれません。妾にならなければならないのです。それで、レアを許さざるを得なかったのです。


分かりますか? 


レアは完全にサタンのほうです。自分の僕の三人の女を通して、十人の子供を生んだのです。ラケルは二人の子供を生んだのです。十二人です。これはレアの作戦で、ヤコブ家庭を自分のほうに完全にとりこにしたのです。


ヤコブ自体もそれが分からなかったのです。

こういうように内的に絡み合って、それで峠を越えて、明らかな道を開拓していくことを知らなかったのです。こういうふうにして、ヤコブ家庭はこうなっているのだから、こういう二つになって、これが一つになるのです。


正妻は妾と一つにならないといけないのです。


 (先生が図―5を書かれる)

    

      図-5


 (レアとラケルが)一つにならなかったのはなぜかというと、ラバンの妻、レアの母の補助(=母子協助)が必要であり、ヤコブのお母さん、それと姑と婿(=ラケルの母と父)の補助が必要だったのです。この二人の母が一つとなったとするならば、それでラバンに対して、「何だ! この悪辣な者! 二人の女を売ってしまう! そんなことはない!」と言うべきです。

それから、レアを呼んで「この者! 妹の愛を盗んだ泥棒!」と言うのです。ラケルを中心に心情的な痛みを残してはいけないのです。(だから)(二人の母がレアに対しては)「君は妾だ!」そういうふうに言うべきです。


分かりますか? 


本当にそうなるべきです。「君(=レア)が妾である」と。


夫婦(=ヤコブとラケル)が共に(※1)公文を出して、舅と嫁(=ラバンとラバンの嫁)がレアに対して、「この者!」と、一人が主張した場合には、本妻(=レア)は妾の立場で一つにならなければ駄目です。


 レアの子供たちと(ラケルの子供たち)は、カイン・アベルです。これを屈伏させて家族を統一するのです。二代の女(=レアとラケル)が一つにならなければならないのです。


分かりますか?(はい)。 》


(※1)「公文」

この「公文」という言葉は、非常に意味深な言葉と言ってよい。理由は、「公文」とは統一教会がお父様の承認によって発布される指示事項のことであるから、この御言葉は人間の責任分担に対して不干渉という原理基準がある為に、お父様は全てをあからさまに語ることができないことを知るべきである。そして、お父様はお父様から発布される「公文」という言葉を用いながら、更には、レアとラケルという人物を現代摂理のお母様と、エバ国を代表して立つべきであったもう一人の女性に置き換えながら語られている。


 もし、現代摂理の代表であるお母様の摂理的環境条件が整えばお父様は「公文」としての重要な指示事項の御言葉を残されたに違いないと思われる。しかし、そのような「公文」見当たらないことから、お母様を中心とするレアとラケルとその摂理的環境条件の基台ができなかった為に、サタンの侵入を招いて、これが主要因となってお父様は聖和されたと推察することができる。

 従って、レアとラケルという現代摂理の蕩減復帰の為すべき条件は残されたままになっていると言えるのである。





【 ④ -2 】 原理的要約を前提として語られた統一教会の摂理的実態


(最初は、お父様が語られた文脈だけを注意深くなぞるようにお読みください。当時、これを聞いただけで理解できた者は誰もいなかったと思います。

しかし、一つ一つの言葉の原理的意味を解きほぐしていくことによって赤文字の言葉が見えてきます。これは、今の時代だから可能にしています。)


 第一代(=1945年のキリスト教時代の)アダム(=お父様)奥さん(=第一夫人)殺した(=お父様と離婚させたのは)のは(その時のキリスト教の)(=母親)だから、第一代のアダムの代わり(=代理蕩減)お母さん(=韓お母様の母)が、自分の(=韓お母様)(お父様と)一つにして、方向転換(=本妻と妾の入れ替えを)してやらなければならないのです。

(※1)(韓お母様の母が)それを知らなかったのです。これが問題になったのです。




(※1)

 お父様が「これが問題になったのです。」と語られた問題とは何であったのでしょうか。その意味が分かるようになれば、誰もが驚きを隠せない内容です。まるで推理小説のラスト五分で全てが引っくり返ってしまったようなものです。


 上記の御言葉からしますと、《 天宙的な洗礼ヨハネの立場にあった第一夫人 》を摂理的観点からサポートしなければならなかったのは第一夫人の母親でした。しかし、この母親がキリスト教と組んで自分の娘をお父様から奪い取って離婚に至らせ、これが原因で、統一教会は悲劇的な受難の路程を歩むことになったと、お父様は「真の御父母様の生涯路程3」で詳しく語られています。


 そして、第一夫人と母親の失敗を再び蕩減する立場に立たれたのが、お母様と母親の洪順愛女史であると、この御言葉から理解できます。しかし、洪順愛女史ご自身はそのような使命があったにもかかわらず、ここでお父様は「それを知らなかったのです。これが問題になったのです。」と語られています。

 これを更に言えば、今回で四回目の記事になりますが、そこに出てきた四つの「原理的要約」からみると、洪順愛女史がお母様に対して、「本妻の位置をラケル(エバ国を代表する女性)に譲り渡す」ように母子協助する使命を果たしていないということになります。そして、「これが問題になったのです。」と上記で語られています。

 この責任は、洪順愛女史がお父様と一つになって、そのうえで、韓お母様に母子協助しなければできないことでした。しかし、「これが問題になったのです」と語られた理由が、洪順愛女史が実の娘である苦悶する韓お母様に対して人情で同情することによってお父様と一つになることができなかったことを言っていると考えられます。


 お父様の指示に従わないで大母様と名乗り続けた金孝南女史は、清平の摂理以前から洪順愛女史と交流が深かったと言われていました。そして、洪女史はお父様の同族相姦摂理に関してその意義が分からずに、お父様に不信して躓いて一人娘の韓お母様側に立った為に、その影響を直接受けた金孝南女史自身も彼女の足跡から見て、お父様に対して常に不信して韓お母様側についてお母様をお父様から切り離す役を果たした女ユダです。


 そして、お母様も第一夫人と同じ様に《 洗礼ヨハネ「『創立以前の内的教会史』抜粋」 》の使命を担っていましたから、お父様と一つになってレアとラケルが一体となることができなければ、「再臨摂理をこれ以上延長することが出来ない」為に、その結果が、聖和につながり、現在の家庭連合の姿になります。


 この個所の御言葉を何度読み直しても、私にはこの様にしか読み解けません。もし、皆さんの中に別な解釈ができる方がおられるとするなら、是非、お知らせください。これは深刻な問題です。


 これがお父様が語り残された真実であるとするなら、金孝南女史に大母様が降霊しているとして進められた清平の先祖解放の成り行きとその結果から見て、再臨時代に起こる最終摂理となる悪霊の再臨復活現象となって、サタンが占有的条件をもって清平を主管していたことが分かります。


 その為に、お父様は清平の先祖解放を見るに忍びず、お父様の指示に従わない金孝南女史と参加者に対して何度も警告《  》《 ② 》を発しておられました。特に、この①は、清平問題がお父様の血の代価(聖和)に直結することを暗示した御言葉になっています。そして、この考察によって、洪順愛女史が母子協助という重要な使命を担いながらも、その使命が成さらなかったことを改めて知るようになりました。


 清平が残した罪科は、これらが原因となって祝福家庭を霊的な死に導いたことです。そして、更に、天の宝である二世たちの霊的な命を沢山奪ったことです。これによって、祝福家庭は、表向きはお父様を尊敬し慕っていますが、実際は、霊的に曇りはて、お父様の心情から遠ざってしまったことは間違いありません。


 もう一度整理します。

 お母様の母親である洪順愛女史が果たすべき使命は、自分の娘に対して、お母様がお父様と完全に一体となって、自ら進んで「本妻の位置を妾に譲り渡すことをお父様に申し出る」ように母子協助することだったことです。しかし、洪順愛女史は「それを知らなかったのです。これが問題になったのです。」と語られています。


 ここで一言。

お母様が「本妻の位置を妾に譲り渡す」ということの本質は何なのかが問題になる。もし、妾がお母様から本妻の位置を譲り受けて、そのままになってしまったとするなら、これは真の愛を復帰するという摂理的本質から離れてしまうことになる。本妻という位置は、今のお母様のように、お父様から選ばれて、ただ一方的に与えられて良しとするものではなく、摂理的アベル側にいるラケルからお母様に対して「あなたこそが真の母になるにふさわしいお方です。」という、摂理的手続きを経てはじめて、サタンが讒訴できない「主の花嫁」になることができるのである。そして、この基準が本来為すべきだった基元節だったのである。


(レアとラケルが)一つにならなかったから、これ(=子女様が)がだんだんと(※2)(国家基準から)民族的になって、北朝十支派を中心にして、南朝の二支派に分かれて争ったのです。(中心)家庭で統一できなければ、(子女様たちは国家基準から降りて)民族的に(分裂して)戦うのです。  】




(※2)「民族的になって」

(天聖経 罪と蕩減復帰 )

「縦的に僕の僕から僕、養子、庶子、直系子女、次には母、父、神、このように八段階です。また、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神、これも八段階です。ですから縦的に八段階であり、横的に八段階です。それが原理観です。先生の言葉ではありません。」


上記の御言葉の八段階は縦と横が連結されていますから、「国家」は縦の「直系子女」になりますが、この「国家」が「民族的になて」ということは、「直系子女」から「庶子」に一段階降りることを意味しているみることができます。


 そうだとすると、「庶子」の段階に降りるということは、更に何を意味しているのでしょうか。

 直系の子女様たちはお母様がサタンに奪われることによって、お父様だけが親になるということを、「民族的になって」と表現され、これは子女様たちがサタンの干渉を受ける「庶子」になったことを意味している。その結果、国進様と亨進様の一体化を除いて、全ての子女様たちが「南朝の二支派に分かれて」争うことになってしまったと言えるのです。



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