《⑧-1》その1 これは摂理観です==再臨時代のレアとラケルが残した「恨」を身代わりになって総蕩減する女性が登場しなければならない!!
前回の《⑦》のつづき・・・
《 『蕩減復帰の峠を越えましょう』 》
(女性修練会) 1993.12.20 韓国・済州研修院
この御言葉を読むにあたって
(黒文字・紫文字は御言葉です。御言葉は省略していません)
(赤文字)は注釈として私が入れた言葉です。
(茶文字)も注釈です。
《 》内は、お父様が【 】で語ろうとされたことに対して、予め語られた原理的な要約になり、この【 】内は、統一教会の摂理的実態が語られています。
つまり、お父様は《 》を語ることが目的ではなく、【 】を語ることが目的であったことが分かります。
しかし、抽象度が強いために【 】の真意を理解した者は皆無だったと思います。
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本日は 《⑧ー1》です。
《 ⑧ ー1 》その1 お父様が語られた原理的要約
《 そういうふうにして(=エリサベツとマリヤが一つになれなかったことが洗礼ヨハネの失敗に直結して)、イエス様が死んだために、大変なことになったのです。イエス様は、なぜ死んだのかというと、レアとラケルが一つにならなかったことを、(※1)イエス様の家庭において(エリサベツとマリヤが)蕩減復帰しなければなりません。
分かりましたか? (はい)。
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(※1)
イエス様の家庭においてレアとラケルの立場にあるエリサベツとマリヤが一つになって蕩減復帰しなければならなかったのですが、一体化できなかったと、以降に語られています。
ということは、この蕩減復帰すべき問題がイエス様時代には解決できなかったことになりますから、この問題は再臨時代において引き継がれることになります。この為に、お父様の中心家庭においてお母様が人類を代表したエバ(=レア=本妻)となって《 愛の闘争(=愛の八段階) 》を「恨」を残さないで蕩減復帰しなければならなかったことになります。
お父様は、このことを語る為に、当事者(お母様とレアにあたる女性)がおられますから、直接表現を避けて御言葉でもって伝えようとしておられる為、読み手側には回りくどく理解しずらく感じるのです。しかし、メシヤ宣言時代を迎えての非常に緊迫した御言葉になっていると言えます。
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そうなるというと、イエス様のお父さんは誰ですか? これは奥さんのエリサベツ、これはマリヤです。
(先生が黒板に図―6を書かれる)
図-6
マリヤは妾の立場です。エリサベツとマリヤは、ちょうどレアとラケルと同じです。姉妹関係、母同士がいとこ関係です。
分かりますか?
姉妹です。姉さん(=エリサベツ)であり、妹(=マリヤ)です。これは姉さんであり、(姉が妹の立場に立って)妹を蕩減復帰しないといけないのです。 母の系列が間違ったから、母のほうでもって組むのです。
分かりますか?
それが蕩減復帰です。こういうふうにして誰が正妻かというと、これ(=エリサベツ)が正妻です。これ(=マリヤ)が妾です。しかし、レアとラケルは(本妻と妾の位置が)反対です。まるっきり反対です。それで(本妻の)エリサベツは(妾の位置になる為に霊的に導かれて)、(本妻になる立場の)マリヤを自分の旦那さんの所に紹介してあげるのです。
こういうことは(律法の教えでは)有り得ないことです。蕩減復帰をするには、(エリサベツは本妻から妾になり、)マリヤは妾(から本妻になる)の立場で(二人が一体化する為の)心情的な絡み合い(=心情転換)をしなければならないのです。
分かりますか?
こういうふうにして、(マリヤは)イエス様をはらみます。これはヨハネです。エリサベツは、マリヤが身ごもった子供が、女であればいいと思ったのです。しかし、女では何もできません。女はお嫁に行ったら、それで問題ないと思うのです。しかし、(マリヤは)男の子供を生んだのです。それが(エリサベツにとって)問題です。
そうなると洗礼ヨハネとイエス様は、異母兄弟です。それを洗礼ヨハネは知っているのです。こういうような非公式(=律法に背くような)な血統関係の者がメシヤになるとは、夢にも思いませんでした。
ヨルダン川で、神様の直接の命令で天の門が開かれて、聖霊が鳩のように降臨して、神様の直接の命令によって、洗礼ヨハネに告げられて(イエス様を)メシヤとして証し、天の命令どおりにしたのだけど、考えてみれば、(神様が)こういうような非公式(=律法に背くような)な血統でもってメシヤを送るとは思えないのです。
(※2)だから(洗礼ヨハネはイエス様を)疑ったのです。
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(※2)
あり得ないことが洗礼ヨハネの目の前で起こっていたのですから、洗礼ヨハネの不信は当然の成り行きと、お父様は語られています。このイエス様と洗礼ヨハネを一つにするのはエリサベツとマリヤの責任であったと語られています。
この問題が蕩減として《 再び統一教会にも起こる 》ことになります。この観点から見た場合、再臨主を迎え損ねたのはアメリカであると終わりの方で語られていますが、このアメリカこそキリスト教を代表した第二イスラエルであり、これを蕩減復帰しているのは統一教会になりますから、このアメリカは統一教会のことを指しています。その様に理解すれば、文脈全体もスムーズに摂理観に沿うようになります。
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イスラエル民族は、イエス様が「洗礼ヨハネがエリヤだ」と言うのだから、それは問題です。しかし、洗礼ヨハネは「自分はエリヤではない」と否定したので、大変なことになるのです。
なぜ洗礼ヨハネがヘロデの奥さんと、妾の問題を中心にうんぬん(=口出し)して、それで首を飛ばすのですか? (イエス様の出生の在り方に不信した罰です。)
マタイ伝の十一章を見れば、イエス様は泣きながら言ったのです。「君たちは何のために野原に出ていったのか、それは洗礼ヨハネを見るためにか、それはきれいな着物を着た者を見るためにか? 結局は、メシヤを見るために行ったのではないのか」と言ったのです。「女のうちで一番、女が生んだ者で、洗礼ヨハネより大きい者はいなかった。しかし天国では一番小さい者になってしまった」と、反対のことを言っているのです。地上で大きい者だったら、天国でも大きくなるべきなのに、なぜ小さいのですか? 地上で、イエス様を王様と認めた場合には、天上では一番大きい者になっていたのに、それを地上で否定してしまったのだから、天国には住めなくなってしまうのです。
聖書を見れば、それを否定できないのです。なぜ洗礼ヨハネが、主弟子(=イエス様の第一弟子)にならないのか? そう見た時に、天(国)は戦う者が勝ち取るという結論です。洗礼ヨハネは戦えなかったというのです。それ(=天国の鍵)はペテロに取られてしまったのです。無関心で、放棄した者はみな天の栄光が取られてしまうことを、はっきりと記載しているのです。マタイ伝の十一章を読んでみなさい。そういうことを今まで知らなかったのです。
だから、洗礼ヨハネの失敗のために、洗礼ヨハネの弟子がみな十二弟子になるべきなのに、主弟子が洗礼ヨハネであるべきなのに、主弟子はペテロです。
それは誰が反対したからですか? (洗礼ヨハネが反対していなければ)十二弟子、一二〇門徒などはいらないのです。
(洗礼ヨハネが失敗して第二次路程になってしまったので、)(イエス様が)昇天しないうちに、(イエス様が)十二人、一二〇人の家庭基準を残していかなければ、未来(=再臨時代)の国家的一二〇国家を求めて来られないのです。
みなそんなことを知らないで、洗礼ヨハネが切ってしまったのだから、証しするために、主の前の道を正すために送られた神のみ旨とはまるっきり反対に、一人の女(=ヘロデの妾)のことにかかわって首を切られてしまうのです。イエス様を受け入れなかった罰です。
そういうふうにして、なぜイエス様が三十三歳まで結婚できなかったかというと、(イエス様は)マリヤに何回も言ったというのです。マリヤに何回も、三回も懇切に、「神の摂理からして、こういかなければならない」ということを話したのです。
お母さん(=マリヤ)が中心になってエリサベツと共に、夫婦、姉妹(=ザカリヤとエリサベツとマリヤ)が一つになって収拾しないと大変なこと(=イエスが殺されること)になるのです。(しかし、マリヤは)(※3)それが(=収拾すること=ザカリヤと洗礼ヨハネを欺くことが)できなかったのです。
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(※3)
この個所は《 後日の記事 》で衝撃的な新事実として引用します。
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つづく
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