新「平和の主人 血統の主人」

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

真実に目を向けましょう!!  (文先生とお母様に対して、誰であろうと 私たちが糾弾できる立場ではない)

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「堕落原理」を知らなければ文先生と無縁になってしまう
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避けられなかった事実蕩減の道


下記は【1972年の御言葉】 ➡ 「メシヤと我々」(東京教会)において語られたものです。
ここで語られた「堕落原理」に関する御言葉は非常に現実的であり理解しやすい内容です。この御言葉は、これまで記事にしてきたものに対して、文先生とお母様の立場がさらに明確になっています。


この時代は、誰もが幼く神格化路線真っただ中であった為、理解不能に陥っていた
1972年にこの御言葉を聞いた先輩たちは、ほとんど、理解できなかったものと思います。或いは、「堕落原理」が理解できたとしても、神格化路線にあったこの時代に、まさか、文先生のことを言っているとは思えず、「自分の理解は間違っている」と思ったに違いないのです。


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「堕落原理」に関係するこれまでの記事・・・①~⑪
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ここで扱っている御言葉は、すべてが「堕落原理」と一元的に繋がっています。


①「事実蕩減
➁「アブラハムによるイエスの典型路程
③「妾摂理
④「サタンを自然屈服させる
⑤「真の父母は未来線上からの出発
⑥「利他的な堕落
⑦「文先生に原罪が残った
⑧「アダム、人類始祖
⑨「終わりの日が来る
⑩「再臨主が必要
⑪「三代における横的蕩減復帰時代



【1972年の御言葉】


「メシヤと我々」19720423 東京教会



サタンが主管する非原理世界


 神様を中心として考えてみた場合に、サタンというものが問題である。サタンは何を中心として今まで、問題とするか。「神様はこういうような原則において万物をつくったんだから、その原則の法において、これを主管するのが原則である」。その原則がある。その原則をサタンが握ったとするならば、いつでも永遠に讒訴することができる。その原則に合わなかった場合にはいつでも讒訴することができる。

だから統一教会でいうのは、原理を中心として非原理という問題が生まれてきます。それ(統一教会)は堕落の世界です。それを原理の神様が願ったか? (神様と文先生が)願わなくても原理の原則を中心として、非原理的な中心者(文先生)が生まれて原理軌道によって(サタンが)讒訴してくるのです。


 こういう問題がもしも世の中に起こったならば神様どうするか? 非原理を否定するまでには、原理の権限というものは生まれてきません。それを(誰かが)否定する時まで。否定は誰がするか? 神様がするんじゃない。神様はすることができない。非原理によって引きずられている人間(文先生)が、否定する要件を満たさなければならない。


だから非原理の者(サタンを主人として侍った者=文先生)は、神様に従うべき者ではありません。神様の干渉に立っている者ではありません。しかし、(文先生は)原理の姿をとっていくんだから、神様の原理の基準には立っているんだけれど、神様はこれを干渉することができない。そういう問題が起こったとするならば、これは神様もどうにもならない。

非原理の相対基準に立っている人間(文先生)だけで問題を解決しなければ、問題解決の要点にはならない。こういうような基準に(文先生が)引っかかったならば、神様もどうにもならない。これが歴史の恨みの基準になっているのです。


 それは何を中心としてそうなったか? あんたたちが堕落論で習ったと同じように、堕落原理というものは、本来はないんだよ。堕落原理というものがあるかっていうんだね。非原理というような基準を中心として堕落原理は……。それは堕落せずに、その道をたどっていく以外にない原理であるというんだね。


 もしも、それ以外の問題で堕落したならば、堕落原理という問題にはならない。それは直ちに復帰される。もしも手が切られてしまったら、これはもう一つなくてもいい。足がなくてもいい。根本問題がいかれてしまった。それが愛の問題である。


 本当はお姫様(第一夫人、第二夫人、第三夫人の韓母)であるべき、その尊い者がその国(第三イスラエル)で一番の強盗の親分(洗礼ヨハネ・天使長的人物)に引き連れられて、そして愛の関係を結んでしまった。そういう場合どうするか。王様(文先生)は、「この野郎、二人共首を切ってしまえ!」。首を切ってしまったならば永遠に子供というものが生まれてこないという場合にはどうする。そういう結果になってしまった。それは、原理としてはそういう方法を取ることは絶対できないにもかかわらず、引っかかってしまった。そういう場合にはどうする?


 それはお姫様(第一夫人、第二夫人、第三夫人の韓母)が相対者も何も決めていない立場だったら、それはともかく許しようもある(文先生とお母様が約婚していた立場だった)。男(天使長的人物)に対して女が引き連れられていったのだから、原理原則である。

しかし、そこにいいなずけの男(文先生)が決まっていたという場合には、もしもそういうふうになった場合にはどうするか? これは(第一夫人、第二夫人、第三夫人の韓母、文先生を)許す道がない。そうかといって、切ってしまったらそれで終わりだ。(文先生の)種がなくなってしまう。人間(文先生)の氏族がなくなってしまう。なくなってしまうのは原理じゃない。人間は永遠に存在しなくてはならないので切ってしまうことはできない。そういう立場に立ったその王様(文先生)は、いかに惨めであるか。そういうようになったならば、殺してしまえば簡単である。日本国民にそういう問題があったならば、国法において、処分して片付けてしまえばいい。その人がいなくても、人はいくらでもいるからであって、もしもたったそれっきりの者だったらどうするか。大変なことになる。


 そういう問題以外において、人間が堕落したとするならば神様は六〇〇〇年もいらないよ。六〇〇〇年、六日もいらないよ。そういう問題に引っかかったんだから、サタンが犯したその男(天使長的人物)の奴は不平ばかり言っているんだから、自分(文先生)も間違いない罪人だ。この女(約婚中の第一夫人、第二夫人、第三夫人の韓母)も間違いない罪人である。その罪を犯したんだから罪を罰せられるのは原則である。宇宙の原則である。その罰せられることにおいて反抗する者があったならば、それは王様(文先生)としては、再び関係を持って考える相対者には絶対できない。罰せられて当然である。打たれても感謝しなければならない。そういうような道以外に、許される道はあり得ない。不平を言ったり、反抗したり、そういう立場に立ったとするならば、それは許すというような道は閉ざされてしまう。(だから、絶対信仰、絶対服従)


サタンは非原理の神


 聖書では、サタンは神様と相談してやっていくんだね。神様は原理の神様であり、サタンは非原理の神様である。これが実におかしくなってしまった。非原理の神様が、原理の神様を干渉することができるか? それはできない。非原理の神様が、善の神様の主管圏を干渉することができるか? できない!

 だから堕落した人間(文先生)は非原理の悪の神様、サタンのほうに従えば間違いなく手続きをする。神様も、「持っていけ」と言う。原理の神様のほうに手続きを一致させた場合、悪の神様であるサタンも「持ってお帰りなさい」と言う。こういうような契約済みのことをするんだから、嫌でありながらも毎日共に会わなければならない。

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