最々重要 「文師の堕落は神に帰る為の堕落であった」ことを証明します!!
だ・か・ら・・誰もが躓いた!! 文先生の堕落は ☞☞ 「堕落したのだから、堕落から始めないといけない」 - 平和の主人 血統の主人
つづきを読むことは本当に大変ですね・・・(*^^)v
本日の記事は、まだ、粗削りであること・・・ご理解ください。
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きょうは、昨日のつづきです
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(一)御言葉〔A〕から
きょうは(※2)の考察です〔(※1)の考察は前回〕
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(1)御言葉〔A〕
〔A〕赤・平和経 第七篇 3.
(※2)悪魔と血縁関係を結んで堕落した偽りの父母となり、人類に偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を引き継がせたことです。
(2)(※2)の【要約】
➁ 文師とエバは(※2)偽りの父母となり、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を人類に引き継がせた
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(二)(※2)の解説
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(1)「引き継がせた」と同じ意味をもっているもう一つの御言葉〔E〕
文師がご自身の堕落を人類に「引き継がせた」。これと同じ意味を持つ「伝授された」という言葉です。
その御言葉が次の〔E〕です。(他にも多数あります)
【E】天地人真の父母定着実体み言葉宣布天宙大会
天基2年 天暦3月22日(2011年4月24日)、松島コンベシア
「人類祖先(文師)の堕落によって偽りの血統を伝授された人間は、その誰彼を問わずサタンの束縛を抜け出すことができないまま、今も暗闇の中を彷徨しているのではありませんか?」
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(三)「引き継がせた」と「伝授された」
この言葉は六千年前のアダムには 絶対に当てはまらない
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文師がご自身の堕落を人類に「引き継がせた」「伝授された」とは何を意味しているのかです。この難問題を解き明かさなければなりません。
それが以下です。最々重要です。
(1)文師の堕落は「①価値ある堕落」「②真の愛による堕落」「➂事実蕩減による堕落」だった
① 「価値ある堕落」
「引き継がせた」「伝授された」という言葉の意味は、この言葉からして、六千年前のアダムの堕落には用いる言葉では、絶対にあり得ません。
この言葉は、文師の堕落が「価値ある堕落」だから用いた言葉だったのです。つまり、サタンの血統を解毒する(毒は毒をもって制し、サタンを無力化する)という事実蕩減の原則による起こった「価値ある堕落」だったからこそ用いた言葉だったのです。
分かりますね。
➁ 「真の愛による堕落」
神様の愛とは如何なるものなのか。それは次の御言葉〔F〕から分かるように、人間が堕落しようがしまいが何ら変わらない、絶対的な性質を持っているのが真の愛です。真の愛は復帰途上においては悲しみ以外ないのですが、最終的に真の愛は堕落の愛をすべて消化してしまう、ゼロにしてしまうということです。
御言葉〔F〕
第十三回「世界統一国開天日」記念礼拝の御言
成約八年 2000年10月3日 中央修練院
『「絶対に境界線が必要ない」というものは、何でしょうか? 絶対に境界線が必要ないもの。永遠に、永遠に、絶対、唯一、不変に境界線が必要ないものとは、何でしょうか? それは、真の愛しかありません。それが真の愛です。』
神様の愛には「自分の為に生きる」という性質は絶対的にありません。反対に「他の為に生きる」という性質を絶対的にもっています。(もし、これに反論がある場合は御言葉から提示してください。)
ですから、神様は一人息子と一人娘が再びサタンに奪われたとしても、神様はサタンに対して「絶対的に他の為に生きる」という真の愛でしか向き合うことしかできなかったのです。その為、幾千年、幾万年、ただただ、泣くしかなかった神様だったと文師は事あるごとに語られていたのです。
このような神様と全く同じ立場に立たれたお方が文師だったのです。
それを知る御言葉が次の〔G〕です。
(注1:〔G〕の「アダム」「先祖」とは文師のことです。そうすれば、御言葉の一字一句が文脈全体の論理性と完全な一致します。)
(注2:〔G〕に類似する御言葉は無数に存在しています)
御言葉〔G〕
天聖経 真の神様 第四章 一 2.
「では、神様にとって悔しいことは何でしょうか。偽りの血筋を受け継ぐことです。偽りの血統を皆さんは受け継ぎました(伝授された)。起源はサタンです。サタンという存在は被造物をすべて滅ぼすことを願っています。そのような宇宙、そのような所有権、そのような血筋が皆さんにつながっているのです。
見て、考えて、においをかいで、話し、触る、五感のすべての根がサタン側にあります。皆さんの先祖(文師)はとても悪い父母の実です。そのようなものを神様が救おうというのですから、神様は本当にかわいそうです。アダムとエバを片づけてしまって、アダムとエバを再び造ることができないのはなぜでしょうか。造ることはできても、本来、永遠の真の愛を中心として永遠の因縁で造ったがゆえに、そうできないのです。
神様の悲惨さ、悔しい立場に立っておられるということを皆さんは知らなければなりません。「私が(文師を)造らなかったならば、あのようにはならなかったものを。愛を求めて栄光の天国を願ったことがこのようになるとは」と言われるのです。
なぜでしょうか。
(文師が)悪魔の血肉を受けたからです。悪魔の愛が注がれ、悪魔の生命、悪魔の血統がそこにあるので、これを取り除かなければ神様が所有することができないのですが、それを取り除けば死んでしまいます。
ですから、そこ(文師に)に徐々に新しい血管と生命と愛を注入して第二の創造物、救援物として神様のような代身者を探して立てなければならないのです。その怨讐を愛してやらなければなりません。その怨讐を我慢して愛さなければならないのです。とんでもないことです、全く。」
御言葉〔G〕にあるように、真の愛の絶対性という性質からして、文師がサタンに対してどのように向き合って来られたのか、少しは理解できたと思います。
それでは次に、真の愛の性質から起こった文師の堕落問題が、事実蕩減の原則に合致していた問題です。それが次に➂です。
➂ 文師の堕落は事実蕩減による堕落だった
事実蕩減とは一体何か??・・・原理にはない蕩減法 「堕落したのだから 堕落から始めなければならない」 - ほふられた小羊
事実蕩減による文師とエバの堕落は、蕩減原則からすれば必然的な堕落であったということです。当然、この事実蕩減原則は真の愛の性質に合致しているということです。
言葉を換えれば、六千年前のアダムの堕落を文師が真の愛の性質をもった事実蕩減によって「堕落を継承した」ということです。その御言葉が「堕落したのだから 堕落から始めなければならない」という非法の愛による蕩減だったのです。どれほどの屈辱と辱めを受けたことでしょうか。
本物の蕩減とは、真の人間にしか立てることができないものです。ですから、文師の堕落はサタンが讒訴できない基準の償いであること。そして、神様から完全な許しを得ることができる償いであったというのです。
この為、文師はご自身の堕落を人類に「引き継がせた」のであり、私たちは文師の堕落を「伝授された」ことになったのです。つまり、祝福家庭、人類の血統は、サタンが無力化され、文師の血統となったということです。つまり、黙示録が言っている天地開闢の時代が到来したのです。悪は打ちながら滅びの道を行き、善が打たれることはやがて終わり、栄える時代となったのです。
④ マタイによる福音書 5章39節
イエス様の有名な言葉に「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」という言葉がある。この聖句は神様の真の愛の性質を容易に分からせてくれます。
この聖句をイエス様の十字架の死にあてはめるとどうなるのか。
サタンは常々、イエス様を捕らえ、辱めて殺したいと思っていた。ですから、弟子たちの不信によって生きる条件をなくしたイエス様は、自分を裏切ろうとしていたユダに対して、すぐにその行動を起こすように促し、イエスを解き放とうとしたピラトには、私に関わるなと退けた。また、棍棒を持ったローマ兵士には無抵抗で自ら進んで捉えられ、ゴルゴダの道では倒れながらも自ら進んで十字架を背負い、目の前に置かれた十字架には自ら進んで手を差し出して釘打たれのです。たとえ、サタンがイエス様を殺害する条件を得たとしても、イエス様は自ら望むようにして殺されたのです。何の為に・・、真の愛の為です。
それでは、この聖句を文師の堕落(死)にあてはめるとどうなるのでしょうか。
「悪人に手向かうな」とは「攻撃してくるサタンの為すがままに、抵抗することなく自ら身を任せよ」ということになります。そして、「右の頬を打つ」とは、六千年前のアダムをサタンが堕落させたことをあらわし、「左の頬をも向けなさい」とは、サタンの求めるように、真のアダムであった文氏が「自らを堕落させた」ということになります。
サタンが堕落させたのではないということです。文師は何の為に自分を堕落させたのか。ただただ、真の愛という性質の為だったのです。それが事実蕩減の原則でもあったのです。