⑥-3 「御言葉を解く鍵」 §2「三つの預言書」 『天聖経』を読み解く鍵は? ➡ 「言語が単一性である」という定義にある
『天聖経』を読み解く鍵は何処にあるのか?
第一ヒントは・・・「読み解く鍵は文先生が持っておられる」
第二ヒントは・・・『文先生を表している「言語」に隠しておられる』
ヒント の答えが 以下の「言語」です・・・・
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文先生を表していると思われる『言語』
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「先生」「彼」「自分」「自ら」「私」「私たち(の「私」)」「人間」「男性」「修行者・修道者」「宗教者」「父母」「真の父母」「偽りの父母」「男やもめ」「アダム」「第三アダム」「一次アダム」「二次アダム」「三次アダム」「ノア」「アブラハム」「ヤコブ」「モーセ」「イエス」「天使長」「ヨセフ」「人類始祖」「私の父母(家庭)」「皆さんの父母(家庭)」「皆さんの父母(家庭)」「私たちの父母(家庭)」
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他にもあるかもしれません。現段階で私が知り得ている文先生を表わしている『言語』です。ただし、その「言語」が文先生の場合もあれば、その言語のままの場合もあります。どちらであるかは文脈から判然としていますから、何度か読み返せば決して難しいことではありません。
★「言語」を解く「六つの条件」をもって以下をお読みください。
★ 御言葉をを解く『鍵』の 前提条件 が必要
文先生は私たちに御言葉を読む前提条件を与えていた。それが下記の御言葉〔A〕です。これを先にお読みください🙇
★ 御言葉〔A〕が言っている 前提条件 とは何か? ➡ これが 御言葉を解く鍵 になっている
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前提条件とは・・・下記の御言葉〔A〕
➡ (言語の定義が)(※1)の「総合性」ではなくの(※2)「単一性」である
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例えば、文先生を表していると思われる「アダム」と「人類始祖」という言語に「単一性」の定義を適用するとどうなるでしょうか。
あくまでも、「単一性」とは、一つの「言語」には一つの意味しかないということです。二つ、三つの意味は存在しないということです。この前提が御言葉を解く鍵のヒントです。
★ その答えは こちらをクリック ➡ 「アダム」と「人類始祖」
「アダム」と「人類始祖」という言語は『天聖経』にたくさん登場している。クリック先の御言葉は「(言語の)単一性」という定義を知らなくても、この「アダム」と「人類始祖」が文先生であることが分かる。
ところが、私たちはこれまで、これ以外の「アダム」と「人類始祖」に対して「(言語の)総合性」で解釈し、「六千年前のアダム」、「六千年前の人類始祖」として読んでいたと思います。
★ その御言葉を一つ取り上げる
天聖経 ➁真の父母 七 一)
「・・・本来は、アダム・エバが神様を中心として一体となり、真の父母になるべきでした。・・・・しかし、人間始祖が堕落することによって、このような父母の日を天も失ってしまい、地も失ってしまいました。」
★ 上の御言葉を「(言語の)単一性」で読むと どうなるか??
「・・・本来は、文先生とお母様が神様を中心として一体となり、真の父母になるべきでした。・・・・しかし、文先生とお母様が堕落することによって、このような父母の日を天も失ってしまい、地も失ってしまいました。」
「アダム」と「人類始祖」を文先生とすると・・・
★ どの御言葉も 一貫して文先生とお母様が堕落した ことを言っている
『天聖経』には文先生とお母様が真の父母になっていない御言葉がたくさん語られている。これに対して、「(言語の)単一性」という定義を知って「アダム」と「人類始祖」を文先生として理解すれば、『天聖経』は一貫して文先生とお母様の堕落で埋め尽くされていることが分かるのです。
★ 文先生は堕落により 新しい原罪 が生まれた(こちらをクリック ① ➁ ➂)
クリック先の①➁➂からすると、文先生は無原罪で生まれ、16歳の時に肉的な堕落により肉的堕落の新たな原罪が生まれたことになります。また、文先生の堕落の動機は神様に帰る為の堕落であったという御言葉もあります。文先生の堕落に関する御言葉は一つや二つではありません。百、二百、三百の数になります。
★ 統一原理の堕落論を文先生が壊してしまうように感じる
六千年前の堕落の動機と文先生の堕落の動機は全く違っています。これを知らないで御言葉にある文先生の堕落を六千年前の堕落であると理解してしまうと、統一原理の堕落論を文先生が壊してしまうように感じてしまうのです。
これが原因となって、家庭連合では統一原理の無力化、書き換え改ざんの必要性を訴えるようになってきているのです。
★ あえて、私たちは「総合性」で読んできた その理由は何か?
ある理由があって、あえて、私たちは御言葉を「総合性」で読んできた。この為、こ「天聖経」の堕落をすべて、あえて、六千年前のアダムとして読んできたのです。
この「ある理由」とは、一体何でしょうか?ここに、統一教会の深刻な問題が隠されているのです。(後日取り扱います)
★ 御言葉全体は「(言語の)単一性」によってのみ語られていた
文先生は私たちに注意を喚起する為に御言葉〔A〕を語られ、それによって御言葉全体が体系的な理論になり、御言葉が科学的、実証的であることを〔D〕〔E〕で語られていたのです。
御言葉〔D〕 天聖経 真の神様 第四章 五 2.
(※3)愛の目的を達成できない神様を、私は愛で解放することを主張するのです。愛の目的を成就できない恨をもった神様が、今日レバレンド・ムーンと出会って解放されたということは理論によるものです。妄想ではありません。体系的な理論、科学的なデータによる実証的結果によってこれを主張するのです。
御言葉〔E〕 赤・天聖経 第五篇 第一章 第四節
(※4)実証的で科学的、論理的な結果が出なければなりません。「統一原理」は、「そうだろう」で はなく、「そうだ」です。
御言葉〔A〕
神様の摂理から見た 南北統一 第二章 第五節 六. 2
「科学世界は公式発達の世界ですが、
・・・定義という言葉は(※1)総合性ですか、単一性ですか。(単一性です)。
(※2)(言語の定義は)単一性だというのです。」
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以下、参考とする御言葉四つ
御言葉〔B〕 天聖経 ⑥人間の生と霊魂の世界 第三章 二 1.
それで、神様が定義を立て審判しなければならないというのです。二つの闘いを停止させる為には、正しい事と間違っている事を明らかにしなくてはなりません。二つの輩に成っているというのです。
御言葉〔C〕 真の御父母様の生涯路程1 5-3
数多くの哲学者がいて、数多くの聖賢がいたけれど、このような問題を解決できませんでした。霊界の具体的な内容を知って、昔の道人たち、教祖たちにみな会って、討論しながら、天上世界のすべてのことを体験して、天法によって善悪をすべて明らかにし、彼らを屈服させなければなりません。そうして、最後には神様の所にまで行って、定義に立脚して弁論し天上世界の印を受けなくては、地上で統一できません。
御言葉〔D〕 天聖経 真の神様 第四章 五 2.
偉大だというのは顔が偉大なのではなく、体が偉大なのではなく、思想が偉大なのです。神様までも動かざるを得ず、神様までも私についてこざるを得ないという精神、それが偉大なのです。愛の目的を達成できていない神様を、私が愛をもって解放することを主張するのです。愛の目的を成就できなかったという恨をもっている神様が、今日レバレンド・ムーンに出会って解放されたというのは理論によるものです。妄想ではありません。(※3)体系的な理論、科学的なデータによる実証的結果によってこれを主張するのです。
御言葉〔E〕 赤・天聖経 第五篇 第一章 第四節
ですから、統一教会のみ言は、「そうだろう」ではなく、「そうだ」です。真理が、「そうだろう」という話がどこにあるでしょうか。物理や化学の公式 では「そうだろう」という言葉はありませんが、真理も同じです。(※4)実証的で科学的、論理的な結果が出なければなりません。「統一原理」は、「そうだろう」で はなく、「そうだ」です。