文先生の堕落の動機 ➡ 「神様にあった」〔 訓教経(上) 〕
この御言葉も解説はいらない・・・
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文先生の堕落
(※1)「堕落した動機」が ➡ (※2)神様にあった
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下記の御言葉は文脈を捉えながら読まれれば十分に理解できるはずです。そして、この観点に立って読まれれば、文先生が何を言わんとしていたのか、誰にでも容易に理解できるはずです。
御言葉を読むにあたっての注意点
第一は、御言葉にある「アダム・人類始祖 ・ 男性 ・ 人間・ 自分」とは総じて文先生であり、「女性」とは文先生16歳の時のエバであり、或いは、韓母です。
第二は、弟子の幹部たちは自分のために文先生と韓母を神格化し続けました。当然、御言葉を正しく理解しようとするならその神格化から離れなければなりません。(今日の中心家庭の姿をもって「真の父母」とすることは荒唐無稽なことです。)
1968 訓教経(上)「28.復帰の主流」
一九六八年十一月十七日
◆切ない心情の神様
(※1)堕落した血筋を通じて結ばれた因縁も、みな動機があったがゆえに出発したのです。
(※2)その動機の主体者は神様です。
ですから、神様がどれほど重苦しかったでしょうか。皆さんが生んだ息子が強盗の一味になるか、逆賊になるか、奸臣になるのかは分かりません。
◆標本的な男性
では、復帰の主流は、どこに流れていくでしょうか。神様の愛を中心として一人の男性と一人の女性が、神様の立ち合いのもとに結婚式をすれば良かったのです。
(※3)しかし、神様の息子、娘(文先生とエバ)を誰が結婚させましたか。サタンです。
そのようにして人間が堕落したので、完成した一人の男性が来なければならないというのです。
(※3)人間(文先生)の堕落は、誰が動機になったのでしょうか。女性(エバ)です。
それで、女性は今まで男性に蹂躙される悲しい歴史を歩んできたのです。無念だったのです。それゆえ、統一教会では女性が率先しなければなりません。
参考記事
亨進様に捧げる! 原理はイエス様まで ➡ (※3)の「イエス様以後、先生に関すること(「堕落原理」)を皆さんは知りません。」 -
顕進様、国進様、亨進様へ お父様の真実をお捧げ致します (お父様の価値を貶めるものでは決してありません)