新「平和の主人 血統の主人」

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

⑨-4 「御言葉を解く鍵」 §5「私・自分」 スッキリ読める ➡ 文先生の悲しみの路程を知ることが子供の本分です

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下記の1963年の御言葉〔A〕を理解しようとするなら・・・
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第一に、文先生とお母様が堕落した立場に立たれたことを知って読まなければならない。


第二に、御言葉〔A〕の中の赤文字は文先生ご自身であることを知って読まなければならない。


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  第一
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(1) 神様が ➡ 16歳の文少年を堕落させた
  神様が文少年をサタンに差し出して16歳で堕落させた。そして、文先生は、18-24歳までの七年路程をもって、ご自身の92年の生涯路程を統一原理基準で予め設定されたのです。
そして、25歳から蘇生期の一次七年路程、長成期の二次七年路程をもって聖婚を迎えることになります。


(2) 文先生が ➡ 17歳のお母様を堕落させた
  ここで文先生は、1960年の聖婚前、文先生が約婚関係にあった17歳のお母様に対して、事実蕩減の原則から「アブラハムによるイエスの典型路程」によって天使長的人物に差し出し、お母様を堕落させた



(3) 文先生の堕落は非法の蕩減路程にあった
  文先生の蕩減路程はお母様がサタンに強奪されたところから出発した。当然、堕落したお母様と約婚関係にあった文先生は、失ったお母様を取り戻す為、非法の蕩減路程を行かなければならなくなった。この非法の蕩減の為に、もう一度文先生自ら堕落した立場に立たれた。


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  第二
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「御言葉を解く鍵」
①  下記の御言葉〔B〕にある『言語の定義が「単一性」』という基準
➁ 下記の御言葉〔C〕にある「二重的な言葉の相対となる『対応語』を見つけ出す
➁ 前の記事六つの条件の基準に立つ


この①②により、御言葉〔A〕の中の赤文字「」「家庭」「」「自分」「実体」「自身」はすべて文先生になります。


以上の第一第二を知って、以下の御言葉〔A〕を読むことができてはじめて、文脈が整然となります。よって、文先生の1960年前後の摂理的立場がよく理解できるようになります。


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何度も繰り返しますが・・・・
  今まで私たちは、文先生とお母様を完全なる実体の真の父母として崇め、神格化してきました。私たちがこの神格化に縛られている限り、この御言葉〔A〕の赤文字を文先生として読むことができません。何故なら、文先生とお母様が実体の真の父母ではなく、反対に、堕落したアダムとエバになってしまう為です。
しかし、統一教会、家庭連合は不信の連続であった為、「真の父母宣布」にサタンが侵入し、さらに、「神様王権即位式」においても文先生は「死の前倒し」をもって強行されたのです。
真の父母を実体として迎えることができませんでした。これにより摂理は延長時代に入り、2000年以降、新しい時代が始まったのです。これによって文先生とお母様の真実を知る時代が開かれたのですから、その時代に沿って御言葉を読むことができず、今の段階の文先生とお母様をもって真の父母とするなら、統一原理の無価値化、厚顔無恥、荒唐無稽なことです。


御言葉〔A〕


 1963年2月5日(火)PM7:30 前本部教会  (第15回、全国伝道師修練会、開会式の御言)


 ですから今日の社会を見てみると、真なることが真なのか、真ならざることが真なのか分からないのです。


父母の名はの父母なのですが、あなたの父母なのか、私の父母なのか、お祖父さんの父母なのか、曾祖父のお祖父さんの父母なのか、名は同じなのですが、環境が異なっているのです。


ここには時間と距離が異なっているのです。異なっているので、このお母さんという名も異なってくるのです。それで今日、これまで全て家庭に、全部が壊れているのです。社会的な名なり全てのものが、昔には主権者だったり何だったりしたものが、みな力を失ったのです。分かりますか?「ハイ」


 を中心にして誤った現実を切って捨てる勇断を下せ


 さあ、このようなある流れが自分を伴って流れているのですが、どんな目的の世界に向かっているのか、必然的な途上なのにもかかわらず、今日の現実に面している立場が覆われているので、前を見れば行くべき目的の世界が、どこに行くのかないのです。

後ろを振り返っても、動機的な実体はどこに行ったかないのです。それで、前は塞がれ、後ろが塞がれ、ここに孤立している自身をおいて嘆息する嘆きの大声、その声の他には聞こえてこないのです。

この声がを過ぎ、社会を過ぎ、国家を越えて、世界に波動となっている現実であることを、皆さんは知らねばなりません。そうですか、そうではありませんか? そうですか、そうではありませんか?「そうです」


 今日この地上では最後の定着地に向かって、急行列車の速さ以上の速力で、自分の運命を引きずってゆく死の波濤が、自分の尻尾に、裾に、肢体に押し寄せ、押し流しているのです。


今は自分が死ぬか生きるかが指一本にかかって、ここに命の綱をかけ、前後左右と避けねば死ぬのであり、最後の最後に来ているということを、世界人類が全て感じる時代的な環境、時代的な環境というより、時代的な刹那に面しているのです。さあ、こんな環境で今、家庭が破滅しているのです。元に戻ろうにも、戻る力がないのです。


 それではこの社会をづっと行って、右側に落ちるのか、左側に落ちるのか、避けることができる方向があるのかということを、誰もが叫び、誰もが深刻な立場でこれを捜し求めているのですが行くべき道、入って行ける道、あるいは左右の道を避けることができる避難道がどこにあるかというのです。


 ここに手ですがり、体でぶつかっているのが、今日世界30億人類の現状であり、ここに集まった過去の皆さんの姿なのです。今日この時間にも皆さんは、このような現象を避けるためにここに求め入って来たのです。逃避して、前後を避けてゆく穴を捜すために来たと言っても過言ではないのです。そうですか、そうじゃありませんか?「そうです」そのような立場のであるのです。




御言葉〔B〕

  神様の摂理から見た 南北統一 第二章 第五節 六. 2 


科学世界は公式発達の世界ですが、・・・定義という言葉は総合性ですか、単一性ですか。(単一性です)。 

(※1)(言語の定義は)単一性だというのです。



御言葉〔C〕

  「双合十勝日」宣布の御言葉 

    2004/5/5 ファミリー 2004/10 P23 


いつでも、(※2)二重的な言葉の相対を見つけ出さなければなりません。(※3)対応語は何かということです。

対応語を見つけ出すのは、私がチャンピオンです。原理世界の正しいことを教えるために、私がすべてつくったのです。


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