新「平和の主人 血統の主人」

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

矛盾する清平御言葉が存在する理由は? ➡ お母様の責任分担の成否が 文先生の死に直結していた為



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本日も 文先生が「訓母ニムを後押し」している御言葉から入ります
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 ➡ 下記の御言葉は2005年のもの




これに対して・・12/11ツイートした「清平に集まるな!」は2002年のもの。


このような矛盾する御言葉は他にも沢山あります。


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知ってか知らずか・・?
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矛盾する御言葉があることを知ってか知らずか・・、
  ➡ いまもなお、訓母ニムの一面的だけで批判しているのがほとんどです。もちろん、お母様に対してもです。この為、文先生の内的な摂理が見えなくなっていると言えるのではないか。


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この矛盾と同じ摂理的問題が・・イエス様とペテロの会話にあった
  マタイによる福音書 第16章15-26節(下記)
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 統一原理の「人間の責任分担」という原理がこの矛盾する御言葉を融合させたのです。 
   ➡ 洗礼ヨハネや弟子たちの「人間の責任分担」の失敗を、イエス様が十字架の死で蕩減されたとした統一原理は、二千年目にしてペテロに対する矛盾する御言葉(※1)(※2)を融合させたのです。


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同じように、文先生もメシヤ宣布時代において・・・
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 1995年の清平の摂理以降、(文先生は誰にも知られないように)もし、ある摂理的中心人物が責任を果たせなければ、イエス様と同じように、文先生も死をなすことになるから、ご自身の死を後押しする立場で「訓母ニムを後押し」されたということです。


 皆さんは、どう思われますか。


 しかし、お母様の責任分担が残されている猶予時であれば ➡ 「訓母の言葉を聞くな!」「清平に集まるな!」と語られたということです。


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イエス様の十字架は公開処刑
  文先生は密室で聖和
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 文先生は最終的にお母様の主管性転倒を甘受されて聖和を迎え入れられた。文先生の聖和には、神様とサタンとお母様、朴先生、国進様と亨進様、そして、文先生が命を賭してお母様を差し出された二人のユダまでも立ちあったのです。その一人が訓母ニムです。
 文先生はサタンを許し愛された為、サタンの遣いだった訓母ニムの罪状を一身に引き受けれれた。その証が、サタンを誘引して清平病院の密室で死を迎えられたことです。


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私は、少なくとも、御言葉からそう思います 
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 お詫びがあります・・
 私は、これまで一方的に清平の先祖解放を非難してきましたが、本日をもって転換せざるを得なくなりました。ご了承ください。
(これで読者が去らないように願います。それでなくても、読者が少ないブログですから・・・(-"-) )


マタイによる福音書 第16章


 15 そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。 


16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。


17 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。


18 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。 


19 (※1)わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。 


20 そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。


21 この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。 


22 すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。 


23 イエスは振り向いて、(※2)ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。 

24 それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 

25自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。

26 たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。

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