文先生の御言葉 ➡ お母様に対する教育は御言葉ではなく、道義教育であった
ーーーーー
文先生が成されたお母様の教育は ➡ 道義教育であった
文先生による韓母の道義教育の結果が・・・文先生の聖和だった
ーーーーー
その御言葉が下記です。
真の御父母様の生涯路程10 第八節 二
私はお母様を教育してきました。涙があふれるほど多くの教育をしてきました。
(※1)正義に立脚して教育してきました。夫のために生きなさいと教育したのではありません。
(※2)道理に立脚して正しければ、嫌でも順応しなければならないのです。涙のあふれる訓示をしました。
その代わり、
(※3)公的な立場で糾弾されなければならず、批判されるべきことがあれば、お母様は私を無慈悲に批判しなさい
というのです。私がうそをつき、語ったことで行わなかったことがあり、自分が行わずに欺いて利用し尽くす、そのような指導者ならば、糾弾しなさいというのです。
ほとんどの統一信徒たちはこの(※1)(※2)(※3)をスッキリと理解できません。
➡ 何故でしょうか。
文先生と韓母が行かれた蕩減路程で知らないことがあまりにも多いからです。
しかし、文先生は八定式の階段を上がるごとに、その都度、漏らさずに語られています。これを原理をもって読み取らなければなりません。
ーーーーー
この(※1)(※2)(※3)の必然的な結論は何か???
ーーーーー
文先生は韓母から道義面で徹底して批判を受けるということです。
その結果、韓母は文先生に対して絶対信仰ではなく絶対不信仰をもってサタン化し、サタンの遣いとなって文先生を聖和に至らせるということになります。事実もそうなりました。
これは、文先生の堕落に対する宿命的な蕩減の結論だということです。文先生は誰にも語ることもできない中で、ただただ、聖和に至る為、その日を迎える為の中心家庭であったということです。
ーーーーー
御言葉を正しく理解しようとするなら・・・
ーーーーー
(新しい)歴史は人類始祖である文先生から始まった。これが原理的立場に立った文先生です。このような立場で御言葉に向き合わなければなりません。文先生以前の古い歴史は文先生の為にあったということです。
文先生が生まれた以降、新しい人類歴史はすべてが第三アダムである文先生を軸として完全に一致し、連動してきたのです。その顕著が世界的な共産主義問題と摂理国家の動向です。
ですから、御言葉のアダムとは古い第一アダムではなく、新しい歴史時代の出発者である文先生になります。そして、人類始祖とは、第一アダムのことではなく、文先生です。
そして、先祖とは文先生であり、さらに、文先生に一度は従った弟子たちです。先祖解放とは文先生を再臨主として解放することであり、その為には、メシヤの為の基台となるべきであった祝福家庭、文先生に従って裏切っていった弟子たち【36双(代)、72双(代)、124双(代)、430双(代)】を再び集めることを言います。祝福家庭の基台を再編することだったのです。
「メシヤの為の基台」は再臨主である文先生がつくることではないのです。第三イスラエルであった統一教会がつくらなければならなかったのです。
ーーーーー
先祖の(代)とは、縦的蕩減を横的に蕩減復帰する立場に立った祝福家庭基台のことです。
つまり、メシヤを迎える為の基台のことです。
決して、私たちの肉身の先祖の(代)ではありません。
ーーーーー
ーーーーー
新しい歴史・・・アダム=人類始祖=文先生
ーーーーー
この立場を理解して御言葉を読まないと、イエス様が律法を廃するように思えたように、御言葉を正しく理解しなければ、御言葉が統一原理と一致しない、矛盾するようになります。
これは、文先生の御言葉が新しい時代のできごとをご自身をアダム、人類始祖の名で語られているからです。その為、御言葉全体の流れが統一原理に似ているが、微妙に違っています。
これを知らない現家庭連合は、統一原理を書き換えようと準備しているのです。もしそうなれば、御言葉全体の整合性が崩壊し、新しい歴史を俯瞰することが不可能になります。
ーーーーー
御言葉の大前提・・・
文先生と韓母を「私の家庭」としたのが統一教会の理念
(大家族教会 祝福家庭は文先生と韓母を中心とした一族の一家庭)
ーーーーー
御言葉から証明できる天一国の言語からすると・・・・
御言葉の「皆さんの家庭」「私の家庭」「あなたの家庭」とは、ただただ文先生と韓母からなる中心家庭のことです。
私を中心とした夫婦と親子の家庭ではありません。ですから、これらを自分自身の家庭として理解しても、何千年、何万年かけても御言葉の実現は不可能です。違いますか。あくまでも、この中心家庭が私の家庭でありあなたの家庭なのです。ですから、家庭盟誓の私たちの家庭とは、ただただ中心家庭になります。
そして、「偽りの父母」とは、事実蕩減によって生まれた文先生と韓母になります。決して堕落したサタン圏の肉親の父と母のことではないのです。
さらに、「真の父母」とは、まだ顕れていない未来線上からの出発した文先生と韓母になります。現在の子女たちが分裂している文先生と韓母をもって真の父母とするなら、笑い者、荒唐無稽なことです。
「重生」とは、堕落した立場に立たれた「偽りの父母(文先生と韓母)」から生まれた私が、今度は、文先生と韓母が正真正銘の真の父母となった時、私がもう一度、文先生と韓母(或いは、エバ)から生まれなければならないことを言います。
つまり、「重生」とは文先生と韓母から私が二度生まれることを言います。ですから、私たちがもう一度、真の父母に出会って「復活」し、そして「重生」し、最後に「永生」するようになります。
参考記事
家庭連合は病的にボケている・・目を覚ましなさい!! 『赤・天聖経』にも ☞ やっぱり・・・「真の父母はいなかった!!」 - 平和の主人 血統の主人