新「平和の主人 血統の主人」

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

人類的課題 ➡ 文先生にまとわりついたサタンの正体を知らなければならない

     

     

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下記の御言葉は文先生が87歳の御言葉です。

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〔A〕の(※1)に・・・

「これまで人類は、人間を堕落させ、すべての悪行を主導する悪魔サタンの正体が何かを知りませんでした。」とあります。


この『悪魔サタンの正体』とは ➡ 統一原理の六千年前のサタンではありません。

何故なら、私たちは統一原理の堕落論によってサタンの正体を知っている立場にあるからです。


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  (※1)の『サタンの正体』とは・・・再臨時代のサタンの正体です。

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下記の〔B〕にあるように、文先生が決して語られなかった『人間(文先生)を堕落させたサタン正体』のことです。つまり、再臨時代のサタンの正体です。


文先生は自分で「堕落した」のではなく、「人間(文先生)を堕落させた」とあるのは、16歳の時(まだ戒めも何も知らない時)、事実蕩減という天意によって堕落させられる道を行かざるを得なかったことをあらわしているのです。(他の御言葉にもたくさんあります)


これがいわゆる訪韓修で語られた「堕落したのだから、堕落から始めないといけないのです。」「非法的でなければ戻っていく道がないのです。」という御言葉です。


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  以上の観点を知って〔A〕を読めば、ほぼ、文脈全体が整然と読み取れるのです。

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〔B〕にあるように、肝心の私たちは文先生の堕落問題を知るよしもなく、全く無知であったのです。ですから、文先生の真の愛の姿に触れた弟子たちは、ただただ、文先生は堕落人間とは隔絶した完成した人間であるとし、一方的に文先生を神格化し、常に、全信徒に説き回ったのです。知ってか知らずか、『真の父母がいない』と語られた御言葉をも迷宮入りさせて神格化したのです。


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  この神格化が ➡ 現在の家庭連合、さらに分派した全体の縛りになっている

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文先生は、1950年代から自身の堕落問題については語られていました。しかし、御言葉を読む時間もなく、御言葉とは裏腹に、信徒たちにとっての文先生像は常に神格化が勝っていたのです。

ところが、2000年以降になると、これまでの不足を埋めるかのように、「文先生とお母様を堕落させた」という新しい摂理的真実をどんどん語り始められたのです。


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  実質的に文先生とお母様の 40年来の神格化が 完全に崩壊してしまった

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ブログ村住人の投稿からも分かるように、文先生に対する評価が昔の文先生にしがみ付く者、また一方では、文先生に対する熱愛が冷え切って、それでも文先生を忘れることができずにまとわりつく者、そのまとわりつく者の中には、文先生をサタンそのものであると糾弾して矢を放つ者が正しいとする者まで、百花繚乱にあります。しかし、どれも御言葉の根拠が取れないでいるのが現実なのです。(もちろん、777はどれにも与しません。全く新しい文先生の姿を御言葉から見出そうとしています。)



〔A〕 (文先生が87歳の御言葉)


平和メッセージ13  2007年3月17日


 二番目に、レバレンド・ムーンは、サタンを最もよく知るチャンピオンです。


 (※1)これまで人類は、人間(文先生)を堕落させ、すべての悪行を主導する悪魔サタンの正体が何かを知りませんでした。


 私は、摂理を出発した草創期に、(※2)十四年以上の間(16-30歳)、血のにじむ霊的な祈祷生活を通して、天上世界のあらゆる秘密を深く調べていく中で、すべての悪の根源であるサタンの正体が何であり、さらには、サタンの戦略と戦術が何かを知るようになりました。


 (※3)堕落によって血統を汚してきたことがサタンの作戦であったため、私は、天の側に本然の血統を探し立てようと全力を尽くしてきたのであり、この天の戦法が世界的に広く知られた交叉・交体合同祝福結婚運動なのです。


〔B〕


み旨と世界 

  20.歴史の転換点  神様は泣いておられる  1975年12月1日


第一先生は語らなかったのですから。なぜなら自分自身の歩んだかかる苦闘の四十年路程(1936-1975)は、二度と誰にも味わってもらいたくありませんし、息子や娘たちにはできるだけ易しい道を残してあげたいのが、親としての先生の気持ちです。知ればあなた方もそういう道を行かなければならないのですから。

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