新「平和の主人 血統の主人」

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

⑤-4 「御言葉を解く鍵」 §1「私」 『(1966年発刊) 原理講論 総序 』が預言していたこと ➡ 文先生一代=蕩減を完結させる再臨主 ➡ 再び再臨主が新しい真理を持って来られる

ーーーーー

文先生を表していると思われる『言語』 

ーーーーー

「先生」「彼」「自分」「自ら」「私」「私たち(の「私」)」「人間」「男性」「修行者・修道者」「宗教者」「父母」「真の父母」「偽りの父母」「男やもめ」「アダム」「第三アダム」「一次アダム」「二次アダム」「三次アダム」「ノア」「アブラハム」「ヤコブ」「モーセ」「イエス」「天使長」「ヨセフ」「人類始祖」「私の父母(家庭)」「皆さんの父母(家庭)」「皆さんの父母(家庭)」「私たちの父母(家庭)」

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

大切な漏れがありましたので「第三アダム」「一次アダム」「二次アダム」「三次アダム」】を追加しました。

他にもあるかもしれません。現段階で私が知り得ている文先生を表わしている『言語』です。ただし、その「言語」が文先生の場合もあれば、その言語のままの場合もあります。どちらであるかは「五つの条件」に従うこととします。それ以外は、文脈から判然としますから、何度か読み返せば決して難しいことではありません。


よくよく読んでみれば・・・・
ーーーーーーーーーーー
下記の御言葉 ➡ 『(1966年発刊) 原理講論 総序 』
ーーーーーーーーーーー
  ➡ 再臨主であった文先生の責任分担が未完成になることを預言していた
  ➡ (縦的六千年を蕩減された文先生が、聖和後、横的三代によって責任分担を完成させる)


ここの(※1)~(※4)を文脈の流れに沿ってそれぞれの意味していることが分かれば、ここから重要なメッセージが浮き上がってきます。


★ そのメッセージとは一体何でしょうか?


(下記につづく)


御言葉


(1966年発刊) 原理講論 総序 


(再臨時代の新しい真理の必要性)


また、(※1)この真理は、イエスがなぜ再臨しなければならないのか、この再臨は、いつ、どこで、いかになされるのか、またそのときに、堕落人間の復活はどのようにしてなされるのか、天変地異が起こり、天と地とが火によって消滅すると記録されている聖書のみ言は、いったい何を意味するのか等々、象徴と比喩によって記録されている数多くの難問題を、


(※2-1)かつてイエス御自身が直接話されたように、例えをもってではなく、だれしもが共通に理解できるように、「あからさまに」解いてくれるものでなければならない(ヨハネ一六・25)。

このような真理であってこそ初めて比喩と象徴によって記されている聖句を、各人各様に解釈することによって起こる(※2-2)教派分裂の必然性を止揚し、それらを統一することができるのである。


このように、人間を命の道へと導いていくこの最終的な真理は、いかなる教典や文献による総合的研究の結果からも、またいかなる人間の頭脳からも、編みだされるものではない。


それゆえ、聖書に(※3-1)「あなた(再臨主の文先生)は、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」(黙一〇・11)と記されているように、この真理(預言)は、あくまでも神の啓示をもって、(※3-2)我々の前に現れなければならないのである。(➡これが『天聖経』です)



しかるに神は、既にこの地上に、このような人生と宇宙の根本問題を解決されるために、一人のお方を遣わし給うたのである。そのお方こそ、すなわち、(※3-3)文鮮明先生である。


先生は、幾十星霜を、有史以来だれ一人として想像にも及ばなかった蒼茫たる無形世界をさまよい歩きつつ、神のみが記憶し給う血と汗と涙にまみれた苦難の道を歩まれた。人間として歩まなければならない最大の試練の道を、すべて歩まなければ、人類を救い得る最終的な真理を探しだすことはできないという原理を知っておられたので、先生は単身、霊界と肉界の両界にわたる億万のサタンと闘い、勝利されたのである。そうして、イエスをはじめ、楽園の多くの聖賢たちと自由に接触し、ひそかに神と霊交なさることによって、天倫の秘密を明らかにされたのである。


(※4-1)ここに発表するみ言はその真理の一部分であり、今までその弟子たちが、あるいは聞き、あるいは見た範囲のものを収録したにすぎない。

(※4-2)時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである。



★ そのメッセージとは一体何か? 

第一に、(※1)「再臨主が持って来られる新しい真理」は、(※2-1)『「あからさまに」解いてくれる』ものでなければならないとある。


第二に、ところが、『「あからさまに」解いてくれる』ものでなければならないと言いながら、(※3-1)では「あなた(再臨主の文先生)は、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」(黙一〇・11)と記されているのです。この「預言」とは再臨主が持って来られる最終的な新しい真理のことではありません。

この「預言」とは、あくまでも、旧約時代の預言、新約時代の預言があったように、成約時代の預言のことを言っているのです。そして、この「預言」は(※3-2)の「神の啓示をもって、我々の前に現れなければならない』という預言になります。

それが、1966年に発刊された『原理講論』であり、2004年に発表された新しい天地の標準としての『天聖経』です。そして『天聖経』は1992年に出発した成約時代の預言の書(聖書)になったのです。


ここまで理解できますね。斜め読み方には難しいかもね(*^^)


★ ここまでを要約すると・・・

『統一原理』も『天聖経』も再臨主が持って来られる最終的な新しい真理の基準にはなっていないということです。


分かりますね。


ですから、上記の『統一原理』に対しては、(※4-1)で「ここに発表するみ言はその真理の一部分であり、今までその弟子たちが、あるいは聞き、あるいは見た範囲のものを収録したにすぎない。」と言い、(※4-2)では「時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである。」と言っているのです。

また、『天聖経』に対しては「天地の聖書として、指標と標準を定め、方向を設定した」と言っているだけで、(※2-1)のように、『天聖経』は「だれしもが共通に理解できるように」はなっていないのです。


その為、キリスト教を統一するはずだった統一教会は、(※2-2)で「教派分裂の必然性を止揚し、それらを統一することができるのである」と記しながら、それがいまだに達成できず、反対にキリスト教の一派的存在になっているか、或いは、全くの異端扱いになっているのです。


★ 以上の内容が、このシリーズである「御言葉を解く鍵」とどのような関係があるのか?

それはおおありです。

何故なら、『統一原理 』から始まって『天聖経』に至る御言葉は、まだ新しい真理の出現にはなっていない。つまり、途中経過の摂理的範疇にあったということです。


つまり、預言の書の範疇にあるということです。


『天聖経』、或いは、御言葉全般がこの範疇にある為、新しい真理の基準であからさまに語ることができていない語り方になっていたのです。これを知らなければなりません。それがクリック先の《(御言葉〔A〕の(※2)》で「あなた方は何も知りません。第一先生は語らなかったのですから」と語られたのです。


★ この為、蕩減路程中にあった文先生は

   ➡ 統一原理の中心人物たちの名をもってご自身を語られた

イエス様が 「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ルカによる福音書14:6)と語られたように、再臨主の文先生もまた「道であり、真理であり、命である」お方です。しかし、新しい真理をあからさまに語ることができていなかったのです。


以上から分かるように、文先生もまたイエス様同様に新しい真理をあからさまに語ることができず、文先生の蕩減路程が聖書に登場する中心人物の立場にあったときは、その名をもってご自身を語る御言葉になっていたのです。


★ 再臨時代は三代をもって成就する

以上から分かることは、再臨主であった文先生一代においては、新しい真理の出現ができないことを『(1966年発刊) 原理講論 総序 』は預言していたことが分かるのです。

その為、文先生が84歳の時、2004年に発表された『天聖経』、或いは、他の御言葉にも再び再臨主が来られて最終真理が明かされることが数多く記されているのです。


イエス様が自ら死を成す十字架によって新約時代を出発させたように、文先生もまた自ら聖和をなすことによって成約時代を実質的に出発させたのです。文先生の生涯は縦的六千年の蕩減を一代で完了させた生涯であったのであり、そして、聖和によって総蕩減を完結させ、蕩減のない成約時代が開かれたのです。



×

非ログインユーザーとして返信する