新「平和の主人 血統の主人」

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

驚天動地!! 「アブラハムによるイエスの典型路程」に関する御言葉

 この御言葉はブログ記事の引用として作成したものですが、重要な内容なので、一つの記事として取り上げました。


 〔A〕〔B〕を念頭に置いて〔C〕~〔G〕をお読みください。
あなたは耐えられますか?? 耐えて、消化して、心情に入らなければならない御言葉です。これ等の御言葉を読んで消化できなければ、御言葉の総観は理解することができない。

〔A〕原理講論 後編 第一章 第三節 (一) (2) ①


 アダムとエバが未完成期において、まだ兄妹のような立場にいたとき、天使長がエバを奪ったので、その子女たちと万物世界のすべてが、サタンの主管下に属するようになった。したがって、アブラハムがこれを蕩減復帰するための条件を立てるためには、既に明らかにしたように、兄妹のような立場から、妻サライを、いったんサタンの実体であるパロに奪わせたのち、彼の妻の立場から、再び彼女を取り返すと同時に、全人類を象徴するロトと、万物世界を象徴する財物を取り返さなければならなかったのである(創一四・16)。このようなアブラハムの路程は、後日イエスが来て歩まなければならない典型路程となるのである。アブラハムは、このような蕩減条件を立てたのちに、初めて、鳩と羊と雌牛でもって「象徴献祭」をささげることができたのである。


【コメント : イエス様は妻を迎えなかったのですから、イエス様はこの典型路程を歩まれなかった。その為、イエス様の再臨である先生とお母様がこの典型路程を歩まなければならなくなったとするのが妥当です。

以下の御言葉をお読み頂ければ、お分かりいただけると思う。】



〔B〕原理講論 後編 第一章 第三節 (一) (2) ②


アブラハムは、イサクを供え物としてささげるときにも、「象徴献祭」をささげたときと同じように、まず、アダムの家庭を復帰する象徴的な蕩減条件を立てて、イサク献祭のための信仰を立てなければならなかった。ゆえに、再びアブラハムは自分の妻サラと兄妹の立場に立って、サラをゲラルの王アビメレクに奪われ、いったん、彼の妻になった立場から、再び取り戻すという摂理が行われた。アブラハムは、このときも、サラと共に人類を象徴する男女の奴隷と、万物世界を象徴する財物を取り戻して出てきたのである(創二〇・1~16)。




〔C〕天聖経 罪と蕩減復帰 第二章 五 1. 


 サタンとは何ですか。神様の愛の姦夫です……その怨讐サタンにエバ(=ひとり娘、お母様)を抱かせて今まで千回、万回讒訴すれば聞いてあげ、それを愛する立場に立っていたのです。それが神様の立場です。どれほど神様の立場が難しい立場かということを皆さんは知らないでしょう。愛する妻(=ひとり娘、お母様)を怨讐に抱かせておいて福を祈ってあげることのできる男(=先生)の立場、それ以上の立場が神様の立場であることを知らなければなりません。あなた方はそうすることができますか。

           *

 サタンはエバ(=ひとり娘、お母様)の姦夫です。ゆえに神様の愛の怨讐です。(先生は)その愛の怨讐が数千年の間、来て讒訴しても嫌な表情一つしないで、今まで真の主人としての仕事をやってきたのです。それで神様がこの地に一つの中心を育てあげるまでは、誰でも不平を言ったり、それを反対してはいけません。なぜでしょうかといえば、天使長がいるからです。

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 サタンは神様の愛の姦夫です。愛の姦夫。これは文総裁が世界的に初めて発表した言葉ですが、悪魔とはいったい何でしょうか。僕が未来に神様の妻になることのできる人(=ひとり娘、お母様)を強姦したのです。アダム(=ひとり息子、先生)とエバ(=ひとり娘、お母様)とは何ですか。神様の体です。聖書のコリント人への第一の手紙を見れば、「あなたの体が聖殿であることが分からないのか」と言いました。神様の家です。家。聖書にアダムが名前を付けたようになったということばがありますが、それは何を意味するのでしょうか。神様がその心の中に入っていらっしゃるということです。

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 サタンは神様の立場から見れば姦夫です。エバ(=ひとり娘、お母様)は姦婦で、サタンは姦夫だというのです。そのような立場にある婦人(=大母様)とその娘(=お母様)を、純潔な女性として純潔な娘として考えなければ復帰することができません。そうでなければ、もともとのままに取り戻すことができません。そのような心情圏に処している神様の悲惨な心境は、誰も知りません。先生以外には、誰も知らないというのです。

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 怨讐に引かれていった自分の愛する妻(=お母様)が、子供を産んで再び帰ってこなければならないとき、そのような母と子を結婚前の純粋な心で迎えることができるでしょうか。サタンは愛の怨讐であり、愛の姦夫です。それこそ(先生とお母様は)アダムとエバが堕落した立場と同じです。しかし神様の心情圏では、その峠を越えていかなければ平和の世界はできないのです。その基準が成立してこそ、サタンは自然屈服するのです。

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 考えてみなさい。愛の怨讐になった悪魔のその息子、娘たち(=子女様たち)を怨讐の子として扱っていたら、神様のようなことはできません。それを、堕落する前の本然の息子、娘として愛するのと同じ心をもって愛したという基準を立てなければなりません。そうせざるを得ない悲痛な神様の立場を考えたことがありますか。

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 キリスト教や他の宗教の最高基準が怨讐を愛せということです。神様もこのような原則的な立場にあるので、サタン悪魔を愛さざるを得ないのです。これは愛の怨讐ですが、その怨讐を堕落していないアダムとエバ以上に愛さなければならないのです。なぜそうなのでしょうか。怨讐の懐に抱かれたエバ(=お母様)が庶子三、四人を連れて入ってくるとき、お父さんは彼らを自分が生んだ子供たちよりも愛さなければ、エバ(=お母様)が本然の立場に帰ってくる道がないからです。何のことが分かりますか。

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 自分の愛する妻(=お母様)を怨讐に抱かせてあげて、福を祈ることのできる雅量のある男にならずしては神様の息子、娘になることができないという結論にまで到達します。なぜですか。エバとは誰ですか。神様の妻です。サタンが抱いて今まで弄んだ姦婦のようなものを今まで六千年間、六千年ではありません。数万年です。人類歴史を一千万年までと見るではないですか。その間、彼が讒訴しても今まで相手にしてきた神様のその痛い心情の谷間を誰が知るでしょうか。ですから自分の愛する妻(=お母様)を自分の怨讐に抱かせてあげて、福を祈ることのできる心情圏を出入りする経験をしたことのない人は、神様の心情を知ることができないというのです。

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 結婚の前日に神様を捨てて怨讐に引かれていき、姦婦になり、息子、娘を生んで暮らしていたのを再び本然の、そのような傷のない立場として受け入れなければならない神様の心情を思うとき、お母様を偉大なお母様につくらなければならないと考えるのです。昔のエバ(=お母様)よりももっと素晴らしいお母様にしてこそ、エバによって傷つけられた悔しく悲痛な神様の心情の傷を埋めることができるというのです。父母様の家庭がそのことをしなければならないのです。何のことか分かりますか。

           *

 先生がこの道を備えてくるには、先生の愛する妻までもサタン魁首に抱かせてあげ、祝福してあげることのできる心がなければならないというのです。何のことか分かりますか。神様がそのような立場に立ったのです。悪魔は愛の姦夫です。怨讐ですが、終わりの日になってメシヤになることのできる資格者ならば、自分の新婦までも犠牲にしてサタンに与え、神様を解放しようとすることのできる立場に立たなければ、神様を解放できないのです。


【コメント : この御言葉は架空の話をしているのでしょうか。イエス様が語りたくても語ることができない為に、比喩で話したように、先生はご自身とお母様をアダムとエバという名を用いて語られたのです。

メシヤたるお方は全権が付託された立場ですから、昔話をする立場ではないのです。昔のアダムとエバ問題が2000年になっても解決できない為、天聖経に先生とお母様の蕩減問題となっていることを語られているのです。


そうでなければ、2003年に天聖経にこのような御言葉を残された理由は、一体どこにあるのでしょうか。


先生がお母様を育てる為に、イエス様以上の蕩減の道を行かなければならなかった苦しい悲しい心情を持たれ、直接語ることができない先生の御言葉は、絶対に昔話をしているのでもなく、私たちが原理で聞かなかった新しい聖書解釈をしているのでもないのです。


この御言葉は、最も身近におられるお母様のことを語られているのです。

文脈を丁寧にたどって読めばそれが分かるはずです。】


〔D〕七七七双聖酒式後の御言1970年10月18日水澤里中央修


聖進さんのお母さんに対しても、もしも怨讐が神のみ旨で奪い取ろうとする者がいれば、そこに土産物をつけていくらでも渡してあげます。ゲラルの王アビメレクも、アブラハムの妻サラを返す時には褒美までつけて返したでしょう?自分の奥さんを盗まれても、共にその男の妾のように生活しながらも、共に生きる男がいるというのです。おとなしくて、話もしないで祈るし、嫌々ながらもそういう立場で一緒に生活する男もいるというのです。


【コメント : これは、1970年の御言葉ですから、上記の原理講論の御言葉からしても、お母様がこの御言葉の対象になることは間違いありません。何故なら、第一夫人との結婚が破綻した為、それを再蕩減しなければならないからです。

果たして、お母様を褒美までつけてお母様を渡した人とは、一体誰のことでしょうか??

この件は、次の御言葉《第3回「七・八節」の御言 1999年8月17日》からすると、また、「事実蕩減」という原則からしても、金百文牧師という洗礼ヨハネの立場と同じ立場の人間であるに違いありません。そうなると、とても驚くようなことが浮かび上がってくるのですが、ここでは取り上げません。


 このような〔A〕〔B〕の蕩減の期間が1960年から先生とは別の所での暮らしとなったお母様の三年間であったと思われます。

 これは、〔C〕《天聖経 罪と蕩減復帰 第二章 五 1.》で「怨讐の懐に抱かれたエバが庶子三、四人を連れて入ってくるとき」と語られたのは、この期間に生まれた子女様ではないかと思われます。


 また、このことを《平和の主人 血統の主人(10-4)》では「ラマ教では、夫が自分の妻をお客に譲り渡すのです。譲り渡して生んだ息子を自分の国の王に立てるという思想があるので、堕落していない伝統の血筋を中心として上がっていくのです。」と語られていたのは、このことを言っていると思われます。】




〔E〕第3回「七・八節」の御言 1999年8月17日 アラスカ・コディアク


先生は、自分自身が自分の体をコントロールできる訓練をした人なのです。そうでなければ、神様の息子、娘になることはできません。


自分がとても愛している人(花嫁、妻)を怨讐の前に譲って、福を祈り、「わたしの代わりに、わたし以上に愛しなさい」という心を持つことができてこそ、神様の心情を理解することができるのです。何のことか、分かりますか?。


先生も、聖進様の母親をそのような位置に立てようとしました。「どのような怨讐にでも会いなさい」と言うことができ、紹介してあげることができたのです。だからといって、そのように行動するのではありません。そのような心情圏を通過するということです。

自分の最愛の人が男性たちと仲良くしていても目をつむり、「神様がエバの喜びの日を迎えられることができなかったことを、自分の家庭において神様が喜びの日を持たれることによって、解いて越えていかなければならない」と考えた人なのです。何のことか、分かりますか?(「はい」)


わたしは、聖進様の母親が金キム百文の祈祷院に行ったとき、金百文を呼んできて紹介してあげた人なのです。「愛しなさい」というのではありません。そのようなときに、どのような心がわたしに生じたでしょうか?しかし、そこで躊躇すれば、神様の心情に引っかかるのです。


(この御言葉、あなたは耐えられますか?? 耐えて、消化して、心情に入らなければならない御言葉です。これ等の御言葉を読んで消化できなければ、御言葉の総観は理解することができない。)



〔F〕祝福家庭と理想天国(1) 祝福と理想家庭 第五章 第一節 8. 


 皆さんが個人的な十字架の路程を経てくるとき、誰が先に開拓しましたか。女性たちがしたでしょう。それでは、完成段階の基準(=先生のメシヤの基準)は誰ゆえに狂ったでしょうか。エバ(お母様)によって狂いました。それで(先生の)家庭を中心にした十字架もエバ(お母様)が負わなければならないのです。


【コメント:この御言葉を目を凝らして読んでください。そうすれば、このエバとは「十字架路程を経てきた女性たちであり、その女性たちを代表したエバであり、そのエバとはお母様になる。


これは、「アブラハムによるイエスの典型路程」として、先生がお母様を天使長的立場の誰かに差し出すという摂理により、結果としてお母様がこの時、貞操を守ることができずに堕落した為に、そのお母様と既に約婚していた為、知らなかった立場で結婚したことが誤った結婚であったと語られている御言葉が多くある。】



〔G〕(成約元年 1995年)真の御父母様の生涯 11 第一節 六

「真の父母と成約時代」宣布の背景と意義


 洗礼ヨハネが再び基盤を築き、母を立ててイスラエルを救ってあげるのと全く同じ立場を復帰したので、第二次大戦後にすべきだったことを今(1993/5)始めたのです。ですから、四十年を失ってしまったというのです。

イエス様とマリヤを中心とした家族関係が再び(先生の家庭で)反復されるのです。旧約時代が新約時代につながっていき、成約時代の転換期に、そのようなことを再び経ていかなければならないのです。


 (40年を失った為、)アダムとエバ(=先生とお母様)が水におぼれてしまった立場になったので、全人類が全く同じ立場に立つようになったのです。これを整理しなければなりません。

根本まで下りていって問題を解決してあげなければならないのです。根本は誰も知らない秘密です。その秘密をすべて知っている人は、レバ レンド・ムーンしかいませんでした。そのようにして、お母様を選んで一番下から引き上げるのです。その過程でどのようなことがあったかは、誰も知りません。


重要!!  この時、先生とお母様のご家庭内で何があったのかは、誰も知りません。しかし、「イエス様とマリヤの家族関係が再び反復される」という言葉が何を意味しているかは、先生が語られているほかの御言葉から推察することが十分に可能である。

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