新「平和の主人 血統の主人」

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

「近親絶対理想相対関係」はアダムとエバの完成基準のことであり、蕩減の過程で現れるものではありませんでした。


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本日は「ファミリー1997/11」の22項で、初めて知った「近親絶対理想的相対関係」という言葉を取り上げます
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 「 近親絶対理想的相対関係 」という言葉を私は初めて目にしました。「近親相姦」という言葉に対する神側の言葉として初めて目にした言葉でしたから本当に驚きました。


 検索しましたところ、八大教本には「近親」の文字が抜けて「 絶対理想的相対関係」という言葉で1か所だけ出てきます。残念ながら、私はこの言葉を完全に見落としていました。参考までに下記に紹介します。


天聖経 宇宙の根本 第三章 二 1 (4)


 『サタンは、神様が最も貴く思っているものを破綻させようとするのです。神様が最も貴く思っているものは、近親相姦関係の相手ではありません。(近親)絶対理想的相対関係を近親相姦関係にしてしまったのです。サタンはそれを知っているので、神様が立つことができる足場を完全に破壊するために行動したのです。』


(追加・・この記事に対する《 コメント (LoneTPさんより)  》を頂きました。LoneTPさんのコメントによると、韓国語の天聖経には「 近親絶対理想的相対関係」と印刷されていますが、日本の天聖経には重要な「近親」が抜けて「絶対理想的相対関係」とあるとのことです。これは、世間体を気にして意図的に改ざんしたと思います。




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しかし、幸いに、下記の「ファミリー1997/11」の22項にはそのまま載っていましたので紹介します。
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「七・八節」天地父母天宙安息圏宣布の御言

    1997年8月9日九里市水澤洞・中央修練院 


『 孤独な神様


真の愛とは何ですか?神様にとって、最も胸の詰まる事実を、皆さんは知るべきです。忘れることができないことを忘れてしまわなければならない、ということです。


アダムとエバが堕落するとき、天使長が姦夫サタンとなって、自分の愛する妻を奪い、息子と娘をすべて滅亡させ、その家庭と世界全部を破綻させたという、この事実をどのようにして忘れるというのですか?忘れられないことを忘れなければならない神様の身の上を知る人が、どこにいたでしょうか?


 ですから、終わりの日(メシヤを迎える時)になれば、そのような四分五裂になった形態が広がるのです。(※1)自分の妻や夫を奪っていったとしても、神様が忘れることができないものを忘れたように、それを平凡なこととしてしまうことができるように忘れてしまう環境へと引っ張っていくのです。


 そのために近親相姦関係まで行くのです。近親とはだれのことですか?親子の関係です。一番近い愛の関係において混乱が起こるのです。


 おじいさんが孫娘と暮らします。まったく、信じられないことです。姉と弟の姉弟同士で暮らします。そこあで落ちているのです。ですから、天の反対の立場であるサタンは、世の中で貴いということのすべてを奪っていったのです。


 神様が最も貴く考えるのは、「 近親絶対理想的相対関係」であり、近親相姦関係ではありません。それを近親相姦関係にしてしまったというのです。 サタンは、そのことを知っているので、神様が立たれることのできる足場を完全に破壊させるための行動をするのです。ですから、愛という痕跡はありません。神様の前に愛をもって立てるべきものは一つもありません。すべて壊れてしまいました。分かりましたか?』



(※1)

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メシヤ再臨の終わりの日には・・・

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 終わりの日には「 近親相姦関係」がとてつもない苦しみと悲しみが伴ってお父様中心として起こるようになると語られています。


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その理由は・・・

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 その理由は、お父様のご家庭が歩まれる「 近親相姦関係」という摂理は、キリスト教の失敗である金百文牧師の不信をもう一度取り戻す為に歩まれたお父様の蕩減路程として現れたものです。これを堕落したサタンの感性で見た場合、とてつもない苦しみと悲しみが伴うと語られているのです。


 事実、お父様が生死をさ迷う牢獄の道に七度も追いやられた原因は、根底にいつ蕩減復帰として行かざるを得ない「近親相姦」、或いは「混淫」の問題があった為であったことは、お父様を知る者なら誰も否定できないと思います。


 その為に、イエスがルカ福音書17章25節で「  しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。 と預言されたのは、蕩減復帰上避けられない「近親相姦関係(同族相姦関係」)」があった為だと思います。

 そして、更に続けて26節、 「そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。」と語られたのは、ノアの裸の摂理に対してハムが「恥ずかしい」と思って不信仰してしまったように、再臨時代も、蕩減復帰としてとして歩まざるを得なかったお父様の「近親相姦関係・同族相姦関係」の路程を見たり聞いたりすることによって、信徒の多くが「恥ずかしい」と思ってお父様から離れることを暗示している聖句だったのだと思います。


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そう言う私自身も・・・

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 そう言う私自身も、お父様が聖和されるまでは、サタン側の「近親相姦」という感性でお父様の一部を見ていましたから、年を重ねるごとに、お父様を理解することが困難な状況に陥っていました。

 しかし、「平和の主人 血統の主人」によって180度転換され、更に、本然の関係が「 近親絶対理想的相対関係」だったというこの御言葉によって整理されました。


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(※1)の結論です。

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お父様は「 近親相姦関係・同族相姦関係」という蕩減摂理の為に七度も牢獄に送られ、その中で、何度か生死をさ迷われました。


 そして、これを暗示していたのが上記のルカ福音書でした。


 このような道を歩まれたお父様はエバとアダムを失った神様の悲しみが分かりすぎるので、これ以上、神様に二重の悲しみを覚えさせることを避けたいという心情から、どんなに苦しい立場に立たれてもお父様は「神様、私は大丈夫です。私を心配しないでください」という心情を、上記の(※1)でかたられました。



次回もこの続きです。
 何故、「近親相姦」と表現されたのか??

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