【例】成約時代の御言葉(1990) ➡ 成約時代の御言葉は、成約の言語基準で読まなければなりません
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【重要】
1985年、1992年以降の御言葉の言語基準は ➡ 成約時代の言語となる
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文先生とお母様が40年サタン分立路程に勝利された、1985年、1992年以降の御言葉は、イエス様までを解いた原理講論の言語基準ではないことを知って読まなければなりません。
信仰混乱・・・成約時代の天地の聖書と位置付けられた「天聖経」に対して、第三イスラエルが原理講論の言語と同じ言語で読んでいるため、再臨時代の摂理が全く理解できず、還故郷の摂理以降、第三イスラエルに信仰の混乱が生じているのです。
補足・・・天聖経が新しい成約時代の天地の聖書と位置付けられているにもかかわらず、それ以前の40年サタン分立路程中の御言葉が数多く編纂されている理由は何処にあるのでしょうか。
この理由は、1992年の真の父母宣布に失敗し、再臨摂理が延長されたためです。文先生だけが成約時代に入っても、私たちは40年サタン分立路程中の新約時代に取り残され、その時代の御言葉が有効になってしまったためです。
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【重要】
下記の御言葉(1990)は ➡ 成約時代の言語で読まなければならない
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この御言葉が語られたのは1990年です。1945年から40年サタン分立路程を勝利された時代圏に入った成約時代の御言葉になります。ですから、この成約時代の御言葉の言語を原理講論の新約基準の言語と同一にして読んでいた統一教会では、甚だしい言語混乱に陥ってしまっているのです。
【重要】既に、原理講論には「イエス様までを解いた原理講論に対して成約基準の天聖経が宿命的に対立する」と記されています。対立が宿命的になる理由について、文先生は「蕩減復帰は、同時性圏によって完成される」と語られています。
提案・・・下記の御言葉の「アダムとエバ」を原理講論の言語である六千年前のアダムとエバとして読んでみてください。そうすれば、この成約時代の御言葉の内容がイエス様までを解いた原理講論と違っていることに、容易に知るはずです。
成約時代の御言葉は、成約の言語基準で読まなければなりません。
具体的には・・・成約時代の「アダム」「人類始祖」「堕落」という言語は文先生に直接関係する言語です。これらの言語が、イエス様までを解いた原理講論の「アダム」「人類始祖」「堕落」と同じ読み方であったとしても、その意味は全く違っているということを知らなければなりません。
御言葉(1990)
37.「真の統一と一つの世界」 一九九〇年三月三十日 アメリカ・ニューヨーク 『文鮮明先生み言選集第二百一巻 』文鮮明先生のみ言集 訓教経(下) (2000年書籍)
サタンも親子の関係で一体化した真の愛の前には順応する
アダムとエバ(1960年の文先生とお母様)がただそのまま育って成熟したなら、神様の愛の対象、愛の配偶者となっていたはずです。ところが、あすになれば夫婦の生涯の契りを、結婚式をしようとしていたのに、その晩、盗賊(天使長的人物)が新婦を奪い去って逃げたというのです。
それで(お母様が)連れていかれた所で生きたのですが、新婦(お母様が)が過去に新郎になるはずだった男性(文先生)を忘れず訪ねていったとき、その男性が「ああ、歓迎するよ。おいで」と言うでしょうか。
神様がいらっしゃるならば、なぜ世の中(第三イスラエルの中)をこのようにしたままでいるのでしょうか。
神様は世界に手を出したいのですが、心痛い心情を抑え、悪が植えられたので、(第三イスラエルの中の)悪が滅びる時になるまで待っていらっしゃるのです。
(どうして、今の再臨時代に淫乱が蔓延しているのでしょうか?)
蒔かれたので収穫の時を待っていらっしゃるのです。木陰で淫乱によって一組が蒔いたものが、秋になって全世界に拡大した青少年の淪落の姿、状態を見ているのが現代です。