新「平和の主人 血統の主人」

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、(文先生が聖和しても)やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

【例】成約時代の御言葉【A】 ➡ 成約時代の御言葉は、成約の言語基準で読まなければなりません

777(ほふられた仔羊)

はじめに・・・下記の御言葉【A】をお読みください。


この御言葉の「アダムとエバ」を『文先生とお母様』としてお読みください。そうすれば、内容はともあれ、文脈がスッキリ理解できます。


しかし、この「アダムとエバ」を原理講論の人物として読まれると、内容が支離滅裂になります。


何故でしょうか? その理由が以下です。


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【重要】

  1985年、1992年以降の御言葉の言語基準は ➡ 成約時代の言語となる

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 文先生とお母様が40年サタン分立路程に勝利された1985年、1992年以降の御言葉は、イエス様までを解いた原理講論の言語基準ではなく、成約基準であることを知って読まなければなりません。文先生ご自身が成約時代の出発者ですから、それ以前の御言葉も成約基準で語られています。しかし、成約度合いが弱いため、原理講論の言語で読み間違っても、その違いに気づきにくいのです。)


 信仰混乱・・・成約時代の天地の聖書と位置付けられた「天聖経」に対して、第三イスラエルが原理講論の言語で読んでいるため、2026年になっても、未だに、再臨時代の摂理が全く理解できずにいるのです。特に、還故郷の摂理以降、第三イスラエルの中に信仰混乱が生じ、その混乱が拡大しているのです。


 補足・・・天聖経が新しい成約時代の天地の聖書と位置付けられているにもかかわらず、天聖経には1985年以前の御言葉が数多く編纂されています。

 その理由は何処にあるのでしょうか。

 その理由は、1992年の真の父母宣布の失敗により再臨摂理が延長されたためです。文先生だけが成約時代に入いられ、肝心の私たちは40年サタン分立路程が延長された新約時代に取り残されているのです。これが原因となって、旧い時代の御言葉が有効になってしまっため、天聖経に記されているのです。


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【重要】

  下記の御言葉【A】は ➡  成約時代の言語で読まなければならない

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 この御言葉が語られたのは1990年です。1945年から40年サタン分立路程を勝利された時代圏に入った成約時代の御言葉になります。ですから、この成約時代の御言葉の言語を原理講論の新約基準の言語と同一にして読んでいた統一教会では、甚だしい言語混乱に陥ってしまっているのです。

 【重要】既に、原理講論には「イエス様までを解いた原理講論に対して成約基準の天聖経が宿命的に対立する」と記されています。対立が宿命的になる理由について、文先生は「蕩減復帰は、同時性圏によって完成される」と語られています。


 提案・・・下記の御言葉【A】の「アダムとエバ」を原理講論の言語で、(赤文字)を外して六千年前のアダムとエバとして読んでみてください。

 そうすれば、文脈が支離滅裂になることが分かります。


 次に、この御言葉【A】を成約時代の言語でお読みください。


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成約時代の御言葉は、成約の言語基準で読まなければなりません。

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 具体的には・・・成約時代の御言葉にある「アダム」「人類始祖」とは文先生です。御言葉には「アダムの堕落」が随所に語られているのは、文先生とお母様が事実蕩減によって行かざるを得なかった「堕落原理」のことが語られているのです。

 

 あくまでも、御言葉は成約時代の中心人物である文先生を「アダム」「人類始祖」として語られているのです。ですから、御言葉の「アダム」「人類始祖」を原理講論と同一人物として読んではならないのです。それを知って読んでこそ、矛盾していた御言葉が驚愕的に大変貌し、必然的に文脈全体が理路整然となるのです。


 【重要】 文先生ご自身が成約時代圏のお方ですから、1956年からの御言葉選集にある「アダム」も「人類始祖」も原理講論の人物ではなく、一貫して、該当するのは文先生しかおられないのです。これによって御言葉の文脈全体が水晶のように透き通ってスッキリするのです。


 まさに、成約時代の父母である文先生とお母様の犠牲の道が、非法な蕩減の道であったことが分かるようになるのです。


 分かりますか。

 そうして初めて、私たちの立ち位置が見えて、御言葉に神様と父母様の真の愛が注がれるようになり、御言葉に神様の生命が宿っていることが分かるのです。



御言葉(1990)【A】

   37.「真の統一と一つの世界」 一九九〇年三月三十日 アメリカ・ニューヨーク 『文鮮明先生み言選集第二百一巻 』文鮮明先生のみ言集 訓教経(下) (2000年書籍) 


サタンも親子の関係で一体化した真の愛の前には順応する


 アダムとエバ(1960年の文先生とお母様)がただそのまま育って成熟したなら、神様の愛の対象、愛の配偶者となっていたはずです。ところが、あすになれば夫婦の生涯の契りを、結婚式をしようとしていたのに、(※1)その晩、盗賊(天使長的人物)が新婦(お母様)を奪い去って逃げたというのです。


【解説】(「(※1)その晩、盗賊(天使長的人物)が新婦(お母様)を奪い去って逃げた」とは・・・

 これこそが、天聖経に残された「アブラハムによるイエスの典型路程」です。これは文先生がお母様に対して一切の教育をなさらずに、天使長的人物に差し出されたことによって起こったお母様の堕落問題です。言い方を換えれば、文先生がサタンを主人として仕えたことによってお母様を堕落させたということです。)



それで(※2)(お母様が)連れていかれた所で生きたのですが、新婦(お母様が)が過去に新郎になるはずだった男性(文先生)を忘れず訪ねていったとき、その男性(文先生)が「ああ、歓迎するよ。おいで」と言うでしょうか。

 

(「(※2)(お母様が)連れていかれた所で生きた」とは・・・

 ➡ これは「(※1)その晩、盗賊(天使長的人物)が新婦(お母様)を奪い去って逃げた」という、その「所」のことです。

文先生は怨讐を許される立場で語られていますから、蕩減路程の痕跡を語られたとしても、目の前にいる怨讐の立場に立った信徒の名は語られていません。それでも、文先生は後世の為に摂理の痕跡を語られていますので、クリック先をお読みください。怨讐の最大化が驚愕的に語られています。)



 神様がいらっしゃるならば、なぜ世の中(お母様を奪った第三イスラエル)をこのようにしたままでいるのでしょうか。


神様は世界(第三イスラエル)に手を出したいのですが、心痛い心情を抑え、悪が植えられたので、(第三イスラエルの)悪が滅びる時になるまで待っていらっしゃるのです。


(どうして、今の再臨時代に淫乱が蔓延しているのでしょうか?)

(中心家庭に堕落の実が)蒔かれたので収穫の時を待っていらっしゃるのです。木陰で淫乱によって一組(中心家庭)が蒔いたものが、秋になって全世界に拡大した青少年の淪落の姿、状態を見ているのが現代です。

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