【定義】「アダム」とは、完成した人間をいう! ところが、御言葉選集622巻の「アダム」は、定義のアダム以外は、ほとんど、「堕落」と「アダム」がセットになっている!
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下記の天聖経によると・・・・
【定義】「アダムとは、神様の内在的性稟の半分を実体として展開した表示体」をいう! ➡ ④
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① 御言葉選集622巻の「アダム」が六千年前のアダムである場合は、その脈絡から容易に理解できる御言葉になっています。
しかし、この場合も、文先生の蕩減路程が六千年前のアダムの立場であったため、アダムの名をご自身に重ねて語られているとみるべきです。このような語り方は、特に、文先生がイエス様の立場で歩まれていた1960年の御聖婚前の御言葉も同じように、文先生が過去のイエス様を現在進行形でご自身を重ねて語られているのはこのためです。そうすることによって、御言葉が一貫した文先生の路程として浮かび上がってくるのです。アダムの名も同様です。実に驚きです。
② 「アダム」という名をもった人物は三人います。一人目は六千年前のアダムです。そして、「後のアダム」と聖書にしるされた第二アダムのイエス様です。三人目が第三アダムとなる再臨主の文先生になります。そして、文先生は第一アダム、第二アダムの立場を縦的に蕩減する立場でご自身をアダム、イエス様と重ねて語られているとみています。この語り方が成約時代の原理的な比喩となります。
③ そのため、第一に、文先生が語られた御言葉選集622巻の「アダム」は、ほとんど、「堕落」という言葉がセットになっています。
このため、文先生はメシヤでありながらも、ご自身を洗礼ヨハネの立場であることを語られた御言葉が数多く残されています。
④ 第二に、622巻の「アダム」とは、下記の御言葉の定義によって語られている完成モデルとしての「アダム」です。
文先生はご自身をこの③の立場で「アダム」の名は堕落とセットになっているものが多く、また、「イエス様」の名は十字架の死とセットになって御言葉が語られています。
何故、文先生をアダムとした御言葉が堕落とセットになっているのか??
➡ その理由は、御言葉選集の「アダム」は、完成していた文先生が「堕落原理」の事実蕩減によって、やむなく、堕落した立場に立たれたためです。あくまでも、六千年前のアダムは堕落によって神様を裏切った立場ですが、文先生は神様に帰るために起こらざるを得なかった堕落をアダムの名をもって語られたのです。
御言葉(1986年 66歳)
天聖経 真の神様 第二章 三 1.
アダムとは何でしょうか。神様の内在的性稟の半分を実体として展開した表示体です。
エバは何でしょうか。女性の性稟を実体として展開した表示体であり、表した存在です。
表したと言うとき、表したということは実体をもっている、表示体であるということです。表れる前に、表れていない動機があって表れたということです。その表れていない動機が何であるかというと、私たち統一教会では無形の実体である神様です。このように見るのです。(140-123, 1986.2.9)